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プロフィール
片岡健太(sumika)
ミュージシャン 神奈川県出身。カメラ歴3年。2013年結成のバンドsumikaのボーカル&ギター。キャッチーなメロディーと人々に寄り添う歌詞が、若者を中心に幅広い層からの共感を呼んでいる。2022年、自身初のエッセイ『凡者の合奏』(KADOKAWA)を上梓。
愛用カメラ:LEICA Q、富士フイルム NATURA CLASSICA
イチ ブンノ イチの愛
写真は自分のためだけのもの ──。
── ランドスケープって音楽に似ているところがあって、
僕だけのものじゃないのがいい。
パソコンやスマホに入った写真を見返すとき、
クラウドで世界中の人とその景色を共有しているような感覚があって
それがランドスケープの楽しさだと感じます ──
「これはランドスケープだけに限った話ではないのですが、目の前の被写体について、僕だけのものという感覚を抱くことが本当になくて。それって例えば恋愛なら、誰かを好きになったとき、その好きになった相手が僕以外の人から好かれないわけがないと思うんです。だって、僕が好きになったんだから。この景色も、自分がシャッターを切りたいと思ったのだから、ほかの人が切り取っていてもおかしくない。そこにある景色はみんなのもので、僕だけのものじゃない。それが、何かいいなっていつも思います」。
忘れたくない瞬間を、心が動くままに撮っている
── 歌をプロとしてやっているけれど、「絶対勝てないな」、と感じる瞬間があって。
それは例えば、たまたま行ったスナックで、ママのためだけに歌っている方の歌声とか。
1分の1でしかない愛。それでしか出せない強さってあって、けっこう憧れたりするんです。
僕は写真を、その美しさに重ねているようなところがある ──
「自分のなかで撮影のセオリーがあるとしたら、その瞬間に覚えておきたいものをど真ん中に据えて、フォーカスを絞って撮ることです。ぼかしたり、前にものを配置したりすることもしません。そして覚えておきたいものとは、その瞬間に自分の心が動いた、好ましいと感じたものです。何を撮ったのかわからなくなってしまっては、『見返せばいつでもそのときのことを思い出せる』、という僕にとっての写真の魅力が薄れてしまいますから。写真は本当に自分のためだけに撮っていて、守りたい1分の1の愛なのかなって感じています」。
「忘れたくないことであっても、人ってやっぱり忘れるじゃないですか。写真は、自分が覚えておきたいことを瞬間冷凍してくれて、自分が見たいときに自由に解凍することができる。写真を見ると、自分の気持ちまで含めて、撮ったときのことやものを思い出せるんですよね。それが、自分のなかでずっと変わらずにある写真の魅力だと思っていて、僕にとって写真は、『記憶の記録』であり、『自分のためだけのもの』なんです。そのため作為的に何かを撮りに行くようなことはしていなくて、普段から鞄にカメラを入れていて、シャッターを切るのは心が動いた瞬間でしかありません。これまで、撮った写真を発表するようなこともほとんどしていないし、その欲求もまったくなくて。見るのは自分だけ。そしてなぜ見るのかといったら、やっぱり思い出したいからなんです」。
写真が、自分の心を正しい位置に戻してくれる
「どんなときに思い出したくなるかというと、言語化できないつらさみたいなものを感じているときです。なぜこうなったんだろうとか、いま自分は孤独を感じていて、でもそれは本当に孤独なのだろうかとか、いろいろなことを考えてしまう。そんなときに見返すと、自分は孤独ではないし、何も間違っていないなと、写真が自分の心の立ち位置を戻してくれる。自分の人生、ぜんぜん捨てたものじゃないなって思わせてくれるのは、写真の力のおかげだと思っています。また別の角度から見ると、写真って、ある種のストレスメーター的な役割もしてくれていて。写真を始めてから3年分のフォルダを見返すと、頻繁に撮れている時期とまったく撮れていない時期が、バラバラなんです。そこには自分の心の余裕が関係していて、撮れていない時期を振り返ると、曲が思うように作れなくてひいひい言っていたとか、とにかく心の余裕がないような状態。視点が内側を向いていて、自分のことばかり見つめているから、写真を撮ることができなかったんだと思い知らされます。写真が撮れなくなってきたら、ちょっといま、自分はヤバいのかもしれないって思ったりもして、写真とはそういう向き合い方もしているように感じます」。
── 自分がその刹那に身をもって体験した、
自分のなかにしかない感動やよろこびが
写真には収められていて。
言語化できないようなつらさがあるとき、
見返すといつも、写真は自分の心を正しい位置に戻してくれる。
自分の人生、捨てたもんじゃないなって ──
「ドラマや映画、本などのフィクションであったり、他者のノンフィクションであったり。そういった自分とはまったく別の世界からやってきたものに感情移入して、感動することってたくさんあります。そういうものに対して、自分のなかで対立構造として存在するのが写真です。孤独を感じているようなとき、外からの感動に孤独がより深まるようなことがある。そこに対抗できるのって、自分が身をもって体験した感動だと思うんです。そして、感動をはじめとした感情が写真に収められていることって、往々にしてありますよね」。
1分の1の愛だけが出せる強さを、いつまでも
「音楽と写真は、自分にとってまったく違うもの。音楽は、バンドメンバーやスタッフ、いろいろな人の人生を巻き込んでしまっているので。もっというと、お金や時間を割いてライブに来てくださるお客様もそうです。自分だけのものではない、という感覚がやっぱり音楽にはあります。一方で写真は、僕が撮ったものは僕だけのものであって、誰の人生も背負ってないという気軽さがある。発表するもしないも自由だし、この先どうなったっていい。音楽と違って、写真はすべての選択権が自分にある、ある意味で究極的に自由な表現だと捉えています。だからこそ、写真において自分に負荷をかけたくないという思いがあります。締め切りと格闘するとか、苦手意識を抱かざるを得ないような状況とか……そういうこととはできるだけ縁遠く、あくまで能動的な趣味であることを担保したいと思っています。仕事で歌をやっていると、たまたま行ったスナックで歌っている方の歌声に自分は絶対勝てない、みたいな瞬間があります。それは、プロとかアマとか関係なくて、ママのためだけに熱唱しているっていう、1分の1でしかない愛、強さみたいなものであり、憧れもします。僕にとって写真は、その美しさにある種、重なっていく部分があるかもしれないと感じていて。これから先も、長く大事にしていきたいと思っています」。
GENIC vol.72【イチ ブンノ イチの愛】
Edit:Chikako Kawamoto
GENIC vol.72
9月6日発売、GENIC10月号の特集は「Landscapes 私の眺め」。
「風景」を広義に捉えた、ランドスケープ号。自然がつくり出した美しい景色、心をつかまれる地元の情景、都会の景観、いつも視界の中にある暮らしの場面まで。大きな風景も、小さな景色も。すべて「私の眺め」です。