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横浪修の現在地

雑誌、広告、作品制作。30年以上にわたり色褪せず、人気写真家として縦横無尽に撮り続ける、横浪修さん。途切れずにオファーが来る理由、自分らしさを認めてもらう手法、時代についていく秘訣。「NOと言わないこと」と「継続」をキーワードに、「撮るという仕事」において大切なことを教えていただきました。

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目次

NOと言わない。何でも受け入れてみると、そこからまた新しいことが広がる。

カネコアヤノ『タオルケットは穏やかな』ジャケット(2023年)

『Whitelies Magazine』(2023年)

同級生に2年遅れていたから、普通のスタジオには入りたくなかった

「カメラマンになろうと思ったのは、中学2年の時に見たTVドラマ『池中玄太80キロ』がきっかけ。西田敏行さんが演じる通信社のカメラマンが、北海道出張とかいろんなところに行くのを見て、いいなって。大阪の写真専門学校に行き、大阪の制作会社に就職しましたが、会社案内とか作る感じでちょっと思っていた世界とは違ったんです。で、関西のカメラマンのアシスタントになったのですが、めちゃめちゃ暇で給料が安かった(笑)。嫌になって写真とは関係ない仕事を1年くらいしたけど、やっぱり写真の仕事がしたくて上京しました。既に同級生から2年ほど遅れていたので、普通のスタジオに入って同級生の後輩になるのが嫌で、文化出版局の写真部に入りました。その後、スタジオよりも個人カメラマンのもとで学んだ方がいいと思い、そこで出会った中込一賀さんのアシスタントになったんです。3年半ほどの間で、光の見方とか露出とか、当時はポジだったこともあってものすごく鍛えられました。師匠が雑誌を多く撮っていた流れで、独立後は必然的にファッション誌の仕事に。最初はティーン誌からスタートして、コンサバ誌、そしてモード誌へ。モード誌の方が自由度が高くて魅力を感じたので、そこは意識して移行しました」。

根底にあるのは、「ピュアなものが好き」ということ。やり方が変わっても、基本は変わらない。

『MilK MAGAZINE』(2022 Autumn/Winter)「re:Japonisme」特集

「撮り方のアイディアは、たまたま、パッと思いつくことがほとんど。好きなツボが一貫しているから、すごく練って練って...というタイプではないです。仕事でもプライベートでも、撮らないといけない使命感みたいなものでシャッターを切っているけど、夢中でガーッて撮っている時に喜びを感じます。そんな時は、やっぱりいい写真が撮れています」。

プライベートサウナ SAU. ビジュアル(2023年)

雑誌から広告への垣根を越えるには、作家性やオリジナリティが必要

『AFTER CHILDREN』(2022年)『100 Children』、『1000 Children』で撮影した子供たちの約8年後を、同じ衣装とポーズで撮影。

「30代半ばの頃、ありがたいことにすごい量の雑誌の仕事を受けていたのですが、忙しすぎて消費される危機感を持ちました。アイディアとか、やりすぎるとパンクするじゃないですか。そこで、雑誌だけではなく広告へも活動の場を広げたいと思ったのですが、当時は雑誌より広告の方が上という風潮が強く、その垣根を越えるのが大変でした。ただブックを持ち込んでも、向こうから依頼は来ない。ある程度、作家性とかオリジナリティが必要だと思い、自分のスタイルを作るためにも写真集などに意識的に取り組みました。作品制作の大きなプロジェクトとしては『100 Children』(2009年)、さらに『1000 Children』(2014年)があります。最初100人撮ったけど、まだまだ足りないかな、1000人やりたいなって。4年半かかったけど、その数は誰もできないだろう、って。しつこくて根気がいること、そんなに苦にならないんです。同じことを突き詰めると強度が増すと思っていて、何でもかんでも手を出すより、一貫性のあることをやりたい。継続した結果、それが“自分らしさ”と認めてもらえるようになり、いろいろと見えてくるものがあります。僕の“自分らしさ”の根底は、ピュアなものが好き、ということ。さらにちょっとシュールな要素を好むスタイルと、ドキュメンタリー的に素直に撮るスタイルの2つを組み合わせています。このバランスや感覚は、若い時からずっと変わっていません」。

時代にズレないようマイナーチェンジしながら、常に発信し続ける

JR東日本 JR東海 JR西日本
「Japanese Beauty Hokuriku」広告(2023年)

「仕事に対しての信条の一つが、NOと言わないこと。自己主張しすぎたり、そんなのできない、とか言わない。違うと思っても、やってみたら意外とそっちの方がいいという場合もある。NOと言っちゃうとそこでチャンスは終わるけど、何でも受け入れてみると、そこからまた新しいことが広がります。フリーランスで長くやるなら、相当考えないと難しい。ブームになりすぎてもダメだし、ファッションの色が強いと広告では敬遠される場合も多い。また、広告の色が着きすぎると写真家という立ち位置にはなかなかなれない。自分としては他の人よりも守備範囲が広く、縦横無尽にやっていると思います。そして、マイナーチェンジ的に時代にズレないよう新しいことを取り入れて調整しています。現状に満足せず、常にチャレンジして発信し続けることが大切。お金をかけても作品撮りなどをして、世の中の人に見てもらうことを心がけています。また、そういうことを継続することも重要だと思います。そのためには、気持ちが写真以外のいろいろなところに行きすぎない方がいい。趣味が優先で写真は仕事、みたいになると、写真が業務になってしまう。写真が単なる作業にならないように、普段から撮ることを楽しんでこそ、長く続けられます。自分にとって写真とは、なくてはならないもの。写真がなければ、人生が成立しないと思っています」。

横浪修 プロフィール

横浪修

写真家 1967年生まれ、京都府出身。文化出版局写真部を経て、中込一賀氏に師事。自身の作品制作を行いながら、ファッションや広告、CDジャケットなど多岐にわたって活動。写真集に『100 Children』『1000 Children』『Assembly』『Assemblysnow』『MIZUGI』など。
愛用カメラ:PENTAX67、 Canon AE-1P/F1/EOS R5/EOS 5D Mark III/EOS 5D Mark IV

GENIC vol.70【横浪修の現在地】
Edit:Satoko Takeda

GENIC vol.70

2024年4月号の特集は「撮るという仕事」。
写真を愛するすべての人に知ってほしい、撮るという仕事の真実。写真で生きることを選んだプロフェッショナルたちは、どんな道を歩き今に辿りついたのか?どんな喜びやプレッシャーがあるのか?写真の見方が必ず変わる特集です。

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