menu

戦地を生きる、彼らの声になる 鈴木雄介/ドキュメンタリーフォトグラファー

第一線で活躍するプロたちに聞く、今までの道のりや仕事に対する想い。クライアントワークとは?撮ることを仕事にするとは?それぞれの向き合い方や姿勢を通して、そんな疑問への答えを探します。
「プロとして活躍するフォトグラファーたちの軌跡」。今回は、ドキュメンタリーフォトグラファーの鈴木雄介さんです。

  • 作成日:

ADVERTISING

目次

プロとして活躍するフォトグラファーたちの軌跡

<BIOGRAPHY>
21歳 アフガニスタンを訪れ、各国のジャーナリストや写真家に出会い写真の持つ力に衝撃を受ける
22歳 帰国後、一眼レフカメラを買ってアフガニスタンや東南アジアを旅する
25歳 渡米
27歳 米国ボストン「New England School of Photography」卒業
   ドキュメンタリーフォトグラファーとして活動開始
28歳 ニューヨークに拠点を移し、戦地や周辺国の撮影を続ける
36歳 日本に拠点を移す。中東での取材に加え、日本におけるクルド人難民の取材なども開始

目の前の人の感情や痛みを誰が外の世界に伝えるのか?それをするために、今、自分はこの場にいるのだと──

ヨルダン、アンマン(2016年)

「シリアの戦争で体に障害を負ってしまった若者がリハビリセンターで絶望しているところを慰める職員の女性。このセンターには20人ほどの若者たちがいました。若い子は中学生ほどの年齢です。明るい未来を思い描いていたはずなのに、戦争という不条理に突然襲われ、故郷は破壊されていつ帰れるかもわからず、家族や友人は死に、体も不自由になってしまった。彼らの心情を思うとやりきれません」。

アレッポ、シリア(2013)

「反政府軍による毛布の配給に殺到する人々。最初は歌と踊りによる平和なデモから始まったシリアの民主化運動は、治安部隊の発砲をきっかけに血で血を洗う戦争に発展してしまった。『こんなことになるなんて誰も思っていなかったよ。今はただどうやって勝つかを考えるだけさ』と、反政府軍に参加する街の男は言っていた。この言葉を聞いて11年、まだシリアの戦争は続いている」。

アレッポ、シリア(2013)

「ガラスに空いた銃弾の跡から通りを見下ろすと、小さな子供の手を引いた父親らしき人が、友人か知り合いと思われる人物と、通りで談笑する姿が見えました。戦争のど真ん中に取り残されたとしても、生まれ育った街を離れず、そこで暮らし続けることを選ぶ一般市民も多い。日常が戦場となり、生と死が交差する毎日を人々はただ必死に生きていく。穏やかな瞬間と殺し合いという狂気が同時に存在する場所でした」。

大きい視点での戦争そのものの姿や、戦争が個人や社会に与える影響を撮る

モスル郊外、イラク(2017)

「ISから解放されたイラク第二の都市モスルにて結婚式を挙げる新郎マフムードと新婦イクラス。結婚は2年越し。マフムードはサダム・フセイン政権下で軍人だったという理由から、ISがモスルを占拠したのちに捕らえられ、投獄されていました。モスルが解放され、戦闘がひとまず終結したことで部分的ではあるが日常生活も戻ってきた。たとえどんなに厳しい状況でも、そこに人がいる限り日常生活は続いていく」。

お金を稼ぐためのものではなく、誰かがやらなければならないこと

「写真家になるきっかけの原体験が、20歳のときに訪れた、米軍侵攻後のアフガニスタンでした。以来僕の取材対象地域は、2013年以降のシリア戦争やそれをきっかけとしてISが台頭したイラク、それらの国から脱出し難民となってしまった人たちがいる隣国まで、一続きになっています。ボストンの写真学校在学中、テーマを決めて中央アジアに取材に行ったり、さまざまな賞に応募してレジュメに載せられる経歴を増やしたり、新聞社や通信社の人たちとネットワーキングをしたりと、ドキュメンタリーフォトグラファーになるための努力をしました。卒業後は地元紙や通信社でフリーランスとして活動し、ニュースの現場を撮影することで戦地取材の資金を貯めていきました。シリアで戦争が始まったとき“学べることは全て学んだし、戦争を撮るなら今だ”と決心し、シリアに向かいました。それが、プロのフォトグラファーとして初めての戦地取材でした。とはいえ、戦地を撮るのは、お金を稼ぐためではなく、“ライフワーク”です。戦場カメラマンは、戦地で撮影する際、フィクサーと呼ばれるパートナーを必ず雇います。彼らを雇う資金も含めると、一度の取材で100万円以上かかることも珍しくありません。各媒体に掲載される際の使用料や講演料などが入ることもありますが、実際の生計は商業カメラマンで立て、資金を貯めては取材に赴くことを繰り返します。お金にならなくても、命の危険が伴っても、それでもカメラを持った自分ができること、やるべきことと信じて続けています。平和とは、戦争と戦争の間に存在する“束の間”に過ぎません。今の日本の平和も、いつまでも続くとは考えていません。その前提で、一人一人が戦争と平和とは何なのかを学び直し、今どうすべきなのかを考えて欲しい。そのために、戦争の現実を写真で伝えることは、誰かがしなければならないことだと思って、取り組んでいます」。

必ず生きて帰ってくること。『死んで英雄になるな』といつも自分に言い聞かせている

バーミヤン、アフガニスタン(2006)

「一眼レフカメラを買って訪れた二度目のアフガニスタン。夢中になっていろいろなものにレンズを向けていました。そのときに撮った写真のなかで、気に入っている一枚です。30年以上も戦争が続くアフガニスタンで、花畑の中を子供たちが歓声をあげながら走り抜けていく。戦争なんか終わって、こういう風景があふれる場所に戻って欲しいという自分の想いが写されています」。

レスボス島、ギリシャ(2015)

「アフガニスタンやシリアから戦争を逃れてゴムボートに乗って命懸けで海を渡ってきた人たちが、ギリシャの島にたどり着いた直後を捉えたもの。この親子はボートから降りると、固くお互いを抱きしめていました。恐怖と不安でいっぱいの親子の表情は、彼らが経験してきたことを物語っているようでした」。ベルリン・フォトビエンナーレでSteve McCurry氏から新人賞を受賞したフォトストーリーの一枚。

アレッポ、シリア(2013)

「シリア反政府軍支配地域で暮らす子供たち。右に立つ2人の少年は、軍人と同じライフルの持ち方をすでに知っている。家族や親族、友達を殺された子供たちは幼心に復讐を誓い、憎しみを胸に育つ。殺し合いが続く限り、そうやって次の世代へと戦争は受け継がれ、負の連鎖は続いていく。初めて本当の戦争を経験したのがこのときの取材で、激しい戦闘地域で撮影しながらも、これが自分のやりたいことだと確信しました」。

グウェイラン刑務所、シリア(2020)

「シリア北東部にあるIS戦闘員が数千人収容されている刑務所。重い鉄の扉についた窓から中を覗くと、足の踏み場もないほどに戦闘員たちが詰め込まれていました。この刑務所は、昨年ISの攻撃を受け多くの囚人が脱走、一週間に及ぶ大規模な戦闘が行われた。いまだにイラクとシリアでは、ISの脅威はなくなっていない」。

鈴木雄介 プロフィール

鈴木雄介

ドキュメンタリーフォトグラファー 1984年生まれ、千葉県出身。
米国ボストン「New England School of Photography」にてビジュアルジャーナリズムとドキュメンタリーを学ぶ。卒業後ボストン地元紙やロイター通信でフリーランスとして活動したのち、ニューヨークに拠点を移す。イラクやシリアで戦争の現場を撮影するとともに、周辺国における難民問題など、戦争が人や社会に与える影響を撮影。2020年、活動拠点を日本に。中東での取材に加え、日本におけるクルド人難民の取材なども行う。2024年3月23日~24日、かながわ県民センターにて写真展「在日クルド人は今」を開催。
愛用カメラ:Sony α7 IV、FUJIFILM X-Pro2
愛用レンズ:FE 24mm F1.4 GM、FE 35mm F1.8、FE 50mm F1.4 GM

GENIC vol.70【プロとして活躍するフォトグラファーたちの軌跡】
Edit:Chikako Kawamoto

GENIC vol.70

2024年4月号の特集は「撮るという仕事」。
写真を愛するすべての人に知ってほしい、撮るという仕事の真実。写真で生きることを選んだプロフェッショナルたちは、どんな道を歩き今に辿りついたのか?どんな喜びやプレッシャーがあるのか?写真の見方が必ず変わる特集です。

GENIC公式オンラインショップ

おすすめ記事

伝えたい想いがあるから。 山口祐果/フィルムディレクター(映像監督)

「人」を撮りたいから 大辻隆広/フォトグラファー

次の記事