好きの伝え方を失敗した日のこと/ぽんずのみちくさ Vol.17
読書感想文。先日Twitter上でも話題になっていたけれど、読書感想文の思い出に対して複雑な気持ちを抱いてる人は多いと思う。例にもれず、私もそのひとりだ。
私が『ハリー・ポッター』シリーズに出会ったのは小学生のころだった。読み始めるや否や魔法の世界の虜になり、何度も何度も、くり返し読んだ。「好きなものと好きなものを組み合わせたら、もっと好きなものになるかもしれない」と考え、宝物のポケモン特大シールを見開きに貼りつけ、ぬいぐるみと同じように、行く先々に持ち歩いていた。
当時の担任の先生は、うってつけだと思ったのだろう。読書感想文を書きたがる生徒は少ないから、本が好きな私に白羽の矢が立った。
「あなたの大好きな『ハリー・ポッター』で読書感想文を書いてみない?」そう持ちかけられた。期待されたことが嬉しかったのか、作文を書くことがめんどくさかったのか、そのときの気持ちは覚えてない。だけど、書いた内容は覚えている。
『ハリー・ポッター』は魔法の話だけど、ちゃんと私の生きる現実世界ともつながっている点が素晴らしいこと。体育館で全校集会があるときは、ホグワーツ城の大広間に入場する生徒になった妄想をしながら歩いていること。J.K. ローリングの希望で、ハリポタシリーズには挿絵がなく、そのことがかえって想像力をふくらませてくれるということ。本の装丁は出版国によってさまざまだが、日本版の表紙と扉絵を手掛けたダン・シュレシンジャーの抽象的なイラストのセンスが良いと思っていること。松岡佑子の翻訳が遊び心にあふれていて楽しいこと。
原稿用紙を、思いつく限りの愛で埋めた。
だけどどうやら、先生の求めていた「感想文」はそういうものではなかったらしい。
登場人物の行動に勇気をもらえるとか、友情が素晴らしいと思ったとか、そういう「気づき」や「学び」はなかったかな?と聞かれた。
細かいことはもう忘れてしまったけれど、そのときのなんとも気まずい雰囲気だけは今思い出しても居心地が悪くなる。
ああ、間違ったんだ。こういうのじゃダメだったんだ。
今になってみれば、先生だって毎年誰かに感想文を書かせなきゃいけなくて大変だったんだろうとか、予想したのと違う角度の感想文が提出されて困っただろうな、とか、それなりに想像もできる。小学校の先生に求められるスキルはあまりにも多様だな、とも。
一連の出来事は、私の記憶の中に長いことしまい込まれていた。「好きの伝え方を間違うと引かれる」というラベルとともに。
予期せぬ形でそのラベルが書き換えられたのは、10年以上の月日が経ってからのことだ。
卒論のテーマをどうしようか悩んでいたとき、英文学の先生に相談にいった。いつかの読書感想文に書いたような思い出を、ぽつぽつと話した。
ポケモンシールの話に大いに笑ったあと、「そんなに素晴らしい思い出があるのが羨ましいです」と先生に言われた。本との出会いや思い出は、無理に作ろうとして作れるものではないから、とも。
恥ずかしい記憶だと思っていたけれど、どうやら恥ずべきものではなかったらしい。むしろそれは、宝物に近い分類のものだったらしい。そう気づけたことが、私にとっては大きなどんでん返しだった。
大人になった私がタイムスリップして小学生のころに戻っても、賞を取るような、先生に褒められるような、正しくて明るい読書感想文を書ける気はしない。その代わり、「感想文の点数は、あなたの好きの気持ちを採点したものじゃないよ」と伝えてから現代に戻ってこよう。
ぽんず(片渕ゆり)
1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。