menu

【表現者が撮る東京 #1】龍崎翔子(ホテルプロデューサー)

様々な分野で活躍中の写真を愛する表現者たちが捉えた“東京”をクローズアップ。
#1では、ポップでダウナーな世界観を持つ、新世代ホテルプロデューサーの龍崎翔子さんの伝えたい東京、そして東京への想いに迫ります。

  • 作成日:
  • 更新日:

ADVERTISING

龍崎翔子

龍崎翔子 ホテルプロデューサー 1996年生まれ。東京大学在学中に起業。24歳にして、「HOTEL SHE, KYOTO」、「HOTEL SHE, OSAKA」など、国内に5つのソーシャルホテルを運営。ITサービスの経営・企画も手掛ける。宿泊予約のD2Cプラットフォーム『CHILLNN(チルン)』(https://www.chillnn.com/)にて、「未来に泊まれる宿泊券」を購入できるサービスを展開中。

❝希望と絶望がサンドイッチになった気だるい日常が続く街、東京。❞

自宅のデスクをDIYするために清澄白河のホームセンターに買い出しに行った途中、隅田川に桜が咲き誇っていた。京都にいた中学の頃、学校で習った滝廉太郎の『花』はこういう景色だったのかと知った。

「実は東京都内で生まれ、小学校卒業まで過ごしているので、本当は東京出身だ。ただ、東京都とはいえ、かなり西の方で駅の周りは畑だらけ、唯一の娯楽はジャスコ、映画を見るには自転車で30分かけて隣町の立川に…というような環境だったので、いわゆる『東京』に住んでいたという感覚はなく、どこか遠い世界のように感じていた。なので、自分が東京出身とは全く思っていない」。

終電の渋谷でかすみ草を拾ったときの写真。(このかすみ草は自宅に持ち帰ったが、彼氏には拾った経緯を信じてもらえなかった)。このかすみ草はどうやってこの渋谷駅にたどり着き、打ち捨てられてしまったのだろう?と想像を掻き立てる出来事だった。

「中高は京都にいたが、京都という土地は、東京に対して強い対抗意識を持っているので、東京から引っ越して来た私は京都に順応するために標準語を捨てて京都弁を話すようになり、東京にいた過去を覆い隠すようになった。なので、当時東京に憧れるという感覚はほとんどなかった」。

芝に行ったとき、ふと顔を上げたら東京タワーがあった。東京に来てから何年か経っていたのに、初めて見たような気持ちになった。思わずきのこ帝国の歌『東京』が頭の中で流れた。

20歳の冬、大学の同級生で写真家の友達に、夜の青山で撮影してもらった写真。

いつのまにか東京というコミュニティーの一員に

「私が初めて『東京』に来たのは、大学受験の前日に駒場東大前から渋谷スクランブル交差点まで歩いたとき。今まで体験したことのない人混みに、広告と人の喋り声からなる騒音というあまりの情報量の多さに、パニックになった記憶がある。

大学生になり、東京で暮らすようになってからは、東京の私立中高一貫校出身である同級生の教育環境や金銭感覚にかなりギャップを感じてカルチャーショックを受け、あまり居心地のよくない思いをして、関西に帰りたいな~と思うことも多かった」。

渋谷モヤイ像裏の喫煙所で誰かのゲリラ展示。「華々しい東京の姿なんて虚像で、あるのは鬱屈した日常のみだと思う。日常の延長線上にある東京の光景を表現できたのかなと思っている」。

「その後、大学で気が合う仲間(たいがい地方出身の子たちだけれど)と出会うようになると、私も東京になじんで、いつのまにか、生活も仕事も遊びも基盤が全て東京に埋め込まれるようになった。下北沢も、渋谷も、表参道も、駅のホームを出てから街並みやショップに至るまで明確に脳裏に浮かぶ。『東京の地理』という共通言語を得て、いつのまにか東京のコミュニティーの一員になっていた」。

❝東京は懐が深い。よそ者を受け入れて、街の養分にしている。❞

「Googleのレセプションで薔薇の入ったPVCトートをいただいた帰り、東京の柔らかい光が透明なカバンを透かして、街のあらゆる場所が美しく感じられた。いつも当たり前に乗っていた地下鉄が、こんなに美しい赤のベンチシートだったことに初めて気づいた」。

今では、こんな街で生まれ育った人が羨ましい

「東京は懐が深い。よそ者を受け入れて、街の養分にしている。人が集まり、物が集まり、金が集まる。そして、常に新しい何かが蠢き、生み出されている。今では、そんな街で生まれ育った人が羨ましい」。

春うららの清澄白河。

大学のある本郷の夜道を散歩しているときに見かけたという美容室。「文豪の名前をとった店名に惹かれて思わず立ち止まってしまった。中は埃を被ってそうな古い本が積まれていて、軒先には数え切れないくらいのサボテン。あまりのdopeさに影響されたので、次のホテルはお部屋にサボテンを入れてあげようと思う」。

❝街に人の気配がある。ストーリーが至る所にある。❞

12歳から京都で暮らし、18歳のとき、大学進学のために上京した龍崎さん。

「東京という街に強い関心を持たずに上京したので、当初は情報量の多さに辟易したし、東京出身の人と育った環境が違いすぎて、あまりなじめなかった。京都の方がコンパクトで街として住みやすいし、人はおもろいし、京都に帰りたいな~と思っていました」。

webメディア『COMPASS』の「#ミレニアルズ解剖」というテーマの取材の撮影で。

住み始めてからは逆に、その情報量の多さや鮮度に惹かれるように。

「京都には“京都”という街しかないし、大阪にも“キタ”と“ミナミ”という街しかないが、東京には京都と同じくらいのサイズ感の街が無数にあり、それぞれが異なった空気感を醸していることに気づいたとき、東京が好きになりました。
東京は街に人の気配がある。ストーリーが至る所にある。特に自分が住んでいた世田谷の住宅街は、多くの人にとって学生時代を想起させるエモい街並みだと思います」。

「『Numero』の田中まきさんとの撮影で、”私らしい場所”として選んでいただいた渋谷。流行の先端でありながら洗練され尽くすこともない。常に天高く伸びる高層ビルが建築され続けている。そういうメッセージかなと思い、うれしかった」。

「ベッドを窓際に移したら、いい光が差し込むようになった。ドアをあけたらベッドが登場する家になったけれど、毎朝春かと紛うくらいの陽射しを浴びて朝を迎えている。そんな麗らかな気分のときに、化粧水して日焼け止めして、このギャラリーコンパクトを。肌のくすみをカバーして透明感が出るのでお気に入り。あまり厚化粧しないタイプなので」。

❝人が集まり、物が集まり、金が集まる。そして、常に新しい何かが蠢き、生み出されている。❞

この春、大学を卒業した龍崎さん。学生時代を過ごした東京への今の想いとは?

「下北沢で彼氏と同棲していた築40年木造2階建てアパートとその周辺が懐かしいですね。彼氏と深夜にコンビニに行ったり、銭湯に行ったり、休日には古着屋に行ったり、(私たちと同じく大学をドロップアウトしかけていた)友達が遊びに来たりと、いろいろな思い出の舞台になった場所なので。
あの頃の私たちの日常を構成していた様々なものが、もう失われていると思うと胸が痛いです。これからの持続的な経済発展は不可能だと思うので、せめて穏やかな街であってほしいと思います」。

「彼氏と下北沢から湯島に引っ越して、IKEAで購入した家具が届いたときの喜びの一枚。"たろうのようかん”とハートランドビールで乾杯!」

「商談で千束に行った帰り道、昼下がりの吉原を見学。江戸時代から数百年続く歓楽街であるという歴史と『ギャル』という潔い看板のギャップに惹かれた」。

龍崎翔子 Instagram
龍崎翔子 Twitter

GENIC VOL.55【表現者が撮る東京】
Edit:Yuka Higuchi

GENIC VOL.55

テーマは「TOKYO and ME 表現者が撮る東京」

Amazonへ

おすすめ記事

【龍崎翔子のクリップボード Vol.30】バケーションと進化論

【GENIC 2020年7月号】テーマは「TOKYO and ME 表現者が撮る東京」

次の記事