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プロフィール

中川正子
写真家 1973年生まれ。神奈川県出身。自然な表情をとらえたポートレート、光る日々のスライス、美しいランドスケープを得意とする。写真展を定期的に行い、雑誌、広告、書籍など多ジャンルで活動中。2011年3月より岡山を拠点に、国内外を旅する日々。写真集『An Ordinary Day』、『新世界』、『IMMIGRANTS』、『ダレオド』ほか、直木賞作家桜木紫乃氏との共著『彼女たち』など、文章執筆の仕事も多数。2024年4月には、アメリカ留学時代に写真を始めた話や岡山へ越してからの仕事との向き合い方などにも触れた初のエッセイ集『みずのした』(くも3)を刊行。2025年2月、清水焼の窯元TOKINOHAの写真集が発売に。
愛用カメラ:Canon EOS R5
愛用レンズ:Canon R 50mm F1.8
日常にこぼれる、なんでもないただの光、ごく当たり前の日々を残したい



私は「自宅は家族にとっての楽園であれ」と思っています。その定義は様々ありますが、家の中は楽でいたい、そういう意味でも楽園。素敵にしたい気持ちは当然あるものの、美しさを求めるあまり窮屈になったり、誰かに見せるためのような視点で無理をしたりするのは違うなと。我が家は3人家族で、息子が持っているアニメのグッズもインテリア的にはさておき、彼にとっては宝物なわけですから。それぞれにとって楽に呼吸できて、ああ、帰ってきたと思える場所であれば、散らかっていても全然構わないと思っています。そんな暮らしの空間の中で、シャッターを切りたくなるのは、まず光。特に朝7時くらいに、東向きの窓からわっと入ってくる光にハッとすることが多いです。ちょうど1番ドタバタしている時間なので、例えば髪を乾かしながら、息子に“早くしなさい”とか言っているときに、“あ、光がきれい”と、頭にタオルを巻いたまま撮るとか(笑)。そのときの気持ちとしてはやはり、日常にこぼれる、ごく当たり前の光が1番尊いと思っている気がします。 外国を旅して見られる絶景とか、そういうことではなくて、ごく当たり前の日々を残したい。その気持ちの象徴としての、ただの光。なんでもない光。撮るときにはそこまで考えていませんが、その後、自分の気持ちを言語化してみると、そういうことになるかと思います。
なにげない家族の日常、どんどん成長する息子の姿を、その気配まで



意識的に残しておきたいと思うのは、1つは息子に関すること。大人も等しく年はとりますが、子どもの方がより姿が変わっていくので、1年前の写真を見ても、別人のようなんですね。彼はもうすぐ15歳、こうやって一緒に暮らせるのもあと数年かなと思うと、もう毎日、毎日を残したいという気持ちになります。3人で仲良く暮らしているという日常の具体的なシーンもそうですし、手元だったり、横顔だったり、そういう気配みたいなものも。3人で囲む普段の食卓も、当たり前ではなかったと思う日がくるでしょうから、そういうなにげない家族の日常、名前のつかない瞬間の幸せを残しておきたいなと思います。その中心にいるのが息子ですね。同時に夫との暮らしも、一生続くと保証されているわけではありませんから(笑)、日々すべてが尊いなと思っていて。彼が資源ごみの日に整然と積み重ねた段ボールも、私にとっては貴重な思い出という風に捉えているので、そういう写真も撮っています。どんどん日々が流れる中で、後で振り返るときに、何か手がかりがないと記憶って蘇らないと思うんです。だから自分にとってのブックマークぐらいのつもりで、そこに見つけたありのままを、ありのままの美しさで撮る。それは積み上げた本のような、その程度のリアルでよくて、その1枚の写真で、それを取り囲む全体の空気感、ドタバタな日々をその頃の感情ごと、思い出せるんですよね。
肉眼ではつい見落としてしまうこともカメラを持つことでそこにフォーカスを合わせ、より詳細に見ることができる



2010年に息子を出産して、2か月に1度は海外に行くようなそれまでの暮らしから、自分の行動範囲が半径1kmになったのは、すごく大きな変化でした。でも、子どもが生まれたことは新たな冒険の旅のようでもあったので、ただ日々を送るのではなく、今ここでとにかく撮ってみようと。被写体を探すことによって、より発見が進んだ感じはあります。翌年、岡山に引っ越したのですが、それがまた大きい転機で。都市でありながら、目の前に山や川がある環境は関東育ちの私にしてみると日々、驚きに満ちていて、それを写真に収めていると、ある種、外国に滞在しているかのようでした。子育てと新しい土地での暮らしという2つは、私にとって旅に近いものがありましたし、今でもそうだと思います。人生は旅、というのは使い古されたメタファーですが、その視点は誰もが持てると思っていて。最近はまた海外に行くことが増えましたが、海外に行けば、いろいろと珍しく、撮るものが山ほどある。そこでいい写真をたくさん撮るのは、ある意味、簡単なことだと思うんです。もっとすごいのは、ごく当たり前の日常の中で、同じような視点を持つこと。そのほうがより意識が必要だと感じます。例えば、外国人の視点で暮らしてみる、というのは、意識すれば誰にでもできることだと思います。そういった視点を見つけるにあたっても、記憶に残すことにおいても、写真はすごく役に立つ。カメラというものがいつもそばにあるのは、幸運だなと感じています。
GENIC vol.74 【半径1kmにある幸せ】
GENIC vol.74

2025年4月号の特集は「It’s my life. 暮らしの写真」。
いつもの場所の、いつもの時間の中にある幸せ。日常にこぼれる光。“好き”で整えた部屋。近くで感じる息遣い。私たちは、これが永遠じゃないと知っているから。尊い日々をブックマークするように、カメラを向けてシャッターを切る。私の暮らしを、私の場所を。愛を込めて。