この世の奇跡に出会うため
写真はこの世という舞台を味わう装置。写真を通して、"よく見る"ということを意識するようになった
「オーストラリアで車を走らせていたとき、何気なく立ち寄った田舎町のギャラリーで、滝の水が引く時期だけ行ける"秘密の場所"を教えてもらった。そこは険しい山の中にあって、森を進み岩山を登っていくと、お年寄りのアボリジナルピープルらしき女性がいた。この滝や森を見守る存在に見えた」。
「メキシコで出会った樹齢2000年の大木。この木は鳥たちのマンションになっている。木を見て涙が出たのは初めての経験だった」。
旅は自分の日常にある美しさを再発見させてくれる
「役者をしていたころは、アルバイトと稽古の日々で時間もお金もないし、旅に行く余裕なんてありませんでした。旅を好きだと思えたのは、本格的に写真をはじめてから。師匠の撮影に同行して国内各地を訪れたとき、初めて他者の暮らしを見るということをしました。写真を通して"よく見る"ということを意識しはじめたのだと思います。土地固有の光や地形、そこに生きる人の表情、日焼けした肌、町のきれいさや汚さ──、何気ない風景の中にある小さな発見や出会いに自分のちっぽけな価値観や常識が覆される感覚が好きだと気がつきました。遠く離れた文化圏にも日常の生活があって、そこには美しさがある。たとえば、早朝にホテルの窓から見下ろす線路に電車が通り、それを運転している人がいて、電車が行くのを待っている人がいる。そういう何気ないけれど美しいシーンは、旅を終えた後にふと思い返します。ひるがえせば、自分の日常も、誰かの目に映る風景を構成しているのだということ。他者の営みに美しさを発見することは、自分の日常にある美しさを再発見させてくれることと同じです。外を見ながら同時に自分自身を見る感覚になれるのが、私の旅に出る理由のひとつです」。
ちょっとこわいなという感情が心の奥底に居座っているとき、"美しい"が生まれてくる
「宮崎県、夜明けの都井岬。私は、旅先ではスペクタキュラーなランドスケープを訪れることもある。壮大な景色にのみこまれそうなこわさは、美しいという感覚に近いところにあって、そういう場所に身を置くと自分のちっぽけさを感じられて謙虚にもなれるんです」。
旅先で他者の営みに美しさを発見することが、自分の日常にある美しさを再発見させてくれる
「フランスのマルセイユにて。英語がまったく通じないおばあちゃんに『ついておいで』とジェスチャーで言われて、一緒に歩いた。ライオンの石像があるマンションのような建物に着くと、満足そうな顔をする。私は意味がわからなかった」。
「曇りなのに沖縄の海はブルーに光っていて、なんだか地に足がつかないような、落ちつかない気分だった」。
「メキシコで数日間滞在した宿からの眺め。隣の建物の屋上に干された洗濯物が毎日変わる様に、その家の暮らしぶりをかいま見た」。
日常の些事から離れて目の前に 集中すると、必ず奇跡は起こる
「同行していたみんなと離れて一人で歩いていたときに、突如出会ったパレード。狭い道に音楽が鳴り、人々が踊るなか、豪快な花火が上がった」。
メキシコにて。
「アメリカ・サンフランシスコの光は特別で、ウィリアム・エグルストンやスティーブン・ショアの世界に迷い込んだような気分になった」。
旅の撮影は自分を能動的で開いた状態にしてくれる
「『魚いらない?』と言われたけれど、料理ができる環境になくお断りしたとき。メキシコの手工芸品であるメルカドバッグはこんな風に日常的に使われているのだな、なんて考えていた」。
旅先で撮った写真は、この世界に向きあい働きかける姿勢の表れ
「旅先での撮影はとてもシンプル。日常にはこまかなことがありますよね。洗濯しないととか、荷物受け取らないと、とか。旅に出ると、そういう日々の些事から離れて、目の前のことに100%集中できます。なにかを発見する意欲や構えが生まれるし、撮りたい気持ちがわいて積極的に人や風景に会いに行こうとする。そうすると、必ず奇跡的なことが起こるんです。土砂降りの雨が急にあがってものすごい夕日に包まれたり、動物について歩いたら素敵な出会いがあったり、小さなミラクルの連続です。ふり返れば私が写真にのめり込んだのはポートレートからでした。写真家を目指すようになったのは、役者としての訓練を積む中で培ってきた理論や経験を活かせると気づいたからです。"演技とは演技をやめること"とよく言われるのですが、それは感情や心の機微がふるまい(ビヘイビア)に素直に表れている状態のこと。心のやわらかな部分でやりとりをする演技は胸に響くものがあり、そしてビヘイビアは写真で撮ることができるんです。旅の写真もポートレートも、共通するのは自分から対象に働きかけると、奇跡みたいな瞬間が返ってくること。そういうふうに写真を通して、この世界の美しさをめいっぱい味わいたいと思っています」。
七咲友梨
写真家 島根県出身。役者として映画、ドラマ、舞台などで活動後、写真家へ転身。ポートレートや旅と暮らしの写真を中心に、雑誌や広告などで活動。映画『場所はいつも旅先だった』(松浦弥太郎監督)では、映像と写真の撮影を担当。写真集に『No where,but here』( ShINC.BOOKS/Bis.)、『朝になれば鳥たちが騒ぎだすだろう』(1.3h/イッテンサンジカン)など。
2017年より地元島根のクラフトティーブランド「ソットチャッカ」を家族と立ち上げ、アーティストとのコラボなどを積極的に行なっている。
愛用カメラ:FUJIFILM GFX 50S、Canon EOS R5、京セラ T PROOF
愛用レンズ:GF63mmF2.8 R WR、CONTAX Planar T*50mm F1.4、CONTAX Distagon 35mm F2.8 T*
GENIC vol.68【写真家が旅する理由】
Edit:Chikako Kawamoto
GENIC vol.68
10月号の特集は「旅と写真と」。 まだ見ぬ光景を求めて、新しい出逢いに期待して、私たちは旅に出ます。どんな時も旅することを諦めず、その想いを持ち続けてきました。ふたたび動き出した時計を止めずに、「いつか」という言葉を捨てて。写真は旅する原動力。今すぐカメラを持って、日本へ、世界へ。約2年ぶりの旅写真特集。写真家、表現者たちそれぞれの「旅のフレーム」をたっぷりとお届けします。