移住体験中のぽんず(片渕ゆり)さん
1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。
北海道を離れるのが、こんなに寂しくなるなんて
この原稿を書いている今、上川町の短期移住はラストスパートに差し掛かった。北海道の冬は長いから、本格的な春が訪れるのはまだ先だ。それでも、だんだんと日は長くなり、晴天の日も増えてきた。
晴れた日には、厚く積もった雪が解け出し、さらさらと雪解けの水が足元を流れていく。空は晴れているのに、道を歩いているあいだずっと雨の日みたいな音が聞こえていて、慣れていない私には不思議な感じがする。
雪が解けていくということは、冬が終わるということ。私の滞在も、もうすぐ終わるということ。
北海道を離れる日が近づいていることが寂しい。まさかこんなに北海道を好きになると思っていなかったから、自分でもちょっと動揺しているくらいだ。
もちろんそれは、期間限定で滞在している人間だからこそ感じる気持ち、いわゆる「旅人の感傷」なのかもしれない。それでも、私が感じた気持ちに変わりはない。
さて、上川町に住んでみて、発見したことがいくつかある。
1つ目。私は勝手に「移住」のイメージを決めつけていたのかもしれない。
「移住」という言葉に対して、すでに出来上がった地域のコミュニティに新参者として入っていくようなイメージを持つ人も少なくないだろう。私自身もそうだった。だけど上川町は、地域おこし協力隊をはじめ、いろんな人が流動的に入ったり出て行ったりしている。そもそも北海道という土地は、移住者が多いのだそうだ。
もう一つ。「移住」は、まちづくりや、その土地に根ざした起業をする人のものーーというイメージがあった。だから、写真を撮るだけの自分は、移住する資格がないような気がどこかでしていた。だけど、「写真を撮ったり文章を書いたりする」という立場の私に対しても、上川町で出会った人たちは好意的に受け入れてくれた。
2つ目。北海道の暮らしは、ままならない。
たった3ヶ月弱しか住んでいない私でも、じゅうぶんに実感した。一日の中でも天気はころころ変わるし、大雪が降れば散歩もできない。ホワイトアウトが発生すると、たった数メートル先でも見えなくなる。山は険しいし、土地はどこまでも広い。日々の雪かきだって大変だった。
大自然を前にしたとき、人は無力だ。そして、そう思えて本当に良かったと思っている。
東京にいると、勘違いしそうになる。目に見えるすべての物体が人工物で、人間はなんでも制御できるのだと錯覚しそうになる。
でもそれは思い上がりで、自然を前にしたとき、人間はあまりにちっぽけだ。そしてそれは絶望じゃなくて、希望だ。吹雪で撮影予定を中止にした日、窓の外を眺めながらどこかほっとしていた。
万能じゃなくていい。できないことがあっていい。間接的にそう思わせてもらえたことで、気の持ちようがずいぶん変わった。
3つ目。旅と暮らしの境目は、思ったよりも溶け合っている。
旅にまつわるアイテムなどを探していると「旅するように暮らす」なんてフレーズをよく耳にするけど、「旅するように暮らす」生活がどんなものなのか、じつのところあんまりピンと来ていなかった。
だけど今回の上川町移住で、すこし掴めた気がしている。その土地に対する好奇心を持ち続けたまま暮らすこと。休みの日に思いっきり遠出してみること。今の暮らしが永遠のものではなく、旅のように終わりあるものだと自覚すること。
そういうふうに毎日を過ごしていると、思わず写真に収めておきたくなるような、日記に書き留めておこうと思えるような瞬間がたくさん訪れる。
人生における「選択肢」について。
今回の短期移住は、人生における「選択肢」を探す期間になればいいなと思っていた。生まれた場所でもないし、育った場所でもない。友人も親類もいない。会社の転勤で行くわけでもない。ただ、自分が行ってみたいから行ってみる。住んでみたいから住んでみる。住む場所についての選択肢は、もしかすると自分が思っているよりずっと多様なのかもしれない。
そう思ったとき、上川町は一つの素敵なチョイスだと思う。白かった山が緑で覆われたころ、またこの町に来られたらと、願ってやまない。