過去の写真が今の自分に教えてくれること
「どのくらい写真をやられているんですか?」の質問に、いつの間にかすぐに答えられなくなった。ん〜と頭を捻りながら指折り数えて、12年か、13年くらいかな?と曖昧に回答し、答えてから想定よりも年月が経過していることに、自分で驚いたりする。
20代の初めに「好きな人(カメラマン)の気を惹きたい!」という実に乙女な理由からカメラを一式購入し、気づけば写真でお仕事をさせてもらうようになっていた。今ではカメラはすっかりなくてはならない存在だ。人生ってこういうことがあるから面白い。
自分の昔の写真を見返していると「これ、視点がいいなあ」とか、「接写でプリンを撮るのが好きなの、変わってないなあ」とか、今はもうすっかり失ってしまった心の機微や、相変わらず好んでシャッターを切り続けている被写体の存在に、気づけたりする。
私自身も世界も、どうしてもそっくりそのまま同じままではいられない。
好みも変わるし、考え方も変わる。
それはちょっぴり寂しいことのような気もする。
けれどそのどちらも受け入れて、アップデートしていく他ない。
「フルサイズ」というカメラの存在が私の写真ライフを大きく変えた
私の写真生活のひとつの転換期は、Nikonのフルサイズカメラ「Z6II」と出合った2020年頃だ。それまではAPS-Cサイズのカメラばかりを使っていて、写真も本格的なお仕事で、というより「文章を書く時ついでにおまけの飾りで付けているもの」だった。
そこからたまたまこのZ6IIに持ち替え、私の世界も仕事の幅も、ぐんっと広がった。
ポスターや商品の撮影を頼まれるようになったり、誰かの大切なWebサイトの看板写真を撮らせてもらったり。カメラの大きなイベントに呼んでいただいたり、写真講座を持ったり。
それまでは自由に好き勝手写真を撮っていただけだけれど、写真は私のメインの仕事になった。
仕事自体は今も変わらずとっても楽しいし、やりがいもある。
自分の写真で誰かが喜んでくれると、最高に嬉しい。
街中で自分の写真を見つけて、心がわっと沸き立つ感覚も大好きだ。
今こうして、国内外で二拠点生活を送れているのも、このZ6IIとの出合いが大きいと思う。
けれど、気づけば自分だけのためだったカメラの存在はすっかり「誰かのためにシャッターを切るもの」になっていて、プライベートで自然とカメラを持ち出すことが徐々に減っていった。
だから「古性さんの、何気ない写真が好きです」と誰かに声をかけられるたび、なんとなく申し訳ないような、何気なくないんだよな、と後ろめたいような、そんな気持ちが残っていた。
Z6IIIというカメラの存在
そんな時「新しくフルサイズのカメラが出るので写真を撮ってみませんか」と、Nikonさんにお声がけをしてもらった。
Z6IIIは、私が普段使用しているZ6IIのアップデート機種。
少し躊躇しながらも依頼を引き受けたのは、Nikonの無料編集ソフトNX Studioで自分好みの色を作りカメラにそのレシピを登録すると、そのままオリジナルのピクチャーコントロールとして使用できる新機能「フレキシブルカラーピクチャーコントロール」に惹かれたからだ。
いつもの世界を、自分の好みの色でそのまま覗くことができる。
なんとなく、今の自分の状況を打破してくれるような気がした。
Z6IIIが手元にやってきて早速、自分の色の制作にとりかかった。
大好きな青をもっと私らしく。美しく切り取るためのフレキシブルカラーピクチャーコントロール「Setouchi Blue」
初めてのフレキシブルカラーピクチャーコントロールは、瀬戸内の青をテーマに「Setouchi Blue」という名前で、私の好きな青が一番綺麗に見えるレシピを作ることにした。名前は言わずもがな、瀬戸内海から。
理想とする色味は既にあったから、簡単に表現できるかな?と思い作り始めたけれど、写真の表情によってとても良くなったり、目も当てられない結果になってしまったり。
互いがどう違うのかわからないレシピを山のように積み上げながら完成したフレキシブルカラーピクチャーコントロール「Setouchi Blue」は、愛しくてたまらない瀬戸内海が持ち合わせている、柔らかな青と穏やかな表情を上手に表現してくれるレシピになった。
最初は本当に、集めるように青にばかりシャッターを切っていた。
もちろん色そのものを好きなこともあったけれど、すっかり「写真は誰かに見せるもの」と”写真を撮らなければ病” にかかっていた私は、自分をわかりやすく説明してくれる、一番「古性さんらしい」と世間が評価してくれる青に固執していたのかもしれない。
そんな時、瀬戸内海から吹く風と一緒に、Z6IIIと撮影に向かう雄大な瀬戸大橋を走る車の助手席で、昔とある友人が私の作る色を「平熱の色」と表現したことがあったのを思い出した。
古性さんの写真は例えば触ってみると冷たくもない、けれど熱くもないちょうど良い温度だよね、と。
フレキシブルカラーピクチャーコントロール「Setouchi Blue」で切り取る、36.5度の写真たち
触ってみると冷たくもない、けれど熱くもない36.5度のちょうど良い温度。
その言葉と、私の頭の中にあった若かりし頃自分で撮った「なんか雰囲気が良い写真」がリンクした。
カメラを取り出して、構えてみる。普段だったら覗いたとしてもきっと、シャッターを切らないであろう世界を切り取ってみた。
多分、誰かが見たら気にもとめないようななんてことない1枚。
でもそこには見たままとは違う、でも確実に自分の好みの色味が広がっていて、何だか久しぶりに「誰かに見せるための写真」ではない、自分のための写真に戻ってこれたような気がした。
そこから「Setouchi Blue」とZ6IIIと旅をするうちに、気づけば普段は「なんか求められている私の写真ではないな」と見向きもしなかった部屋の家具やお菓子の袋、その辺の公園のベンチにまでシャッターを切るようになっていた。
「Setouchi Blue」は青に特化して作ったけれど、カフェの店内や曇りの日、強めの逆光でも、きちんと「36.5度」を保ってくれる。
何処か懐かしいような、でも古くはない色。
撮る人も見てくれる人も、深呼吸したくなるような、清々しい色。
私の写真が本来持っていた魅力の36.5度感をフレキシブルカラーピクチャーコントロールの「Setouchi Blue」が、そして「魅せる作品」としてしっかりとしたZ6IIIの画力が受け止めてくれる。
Z6IIIと、そして「Setouchi Blue」と過ごすうちにいつの間にかまたプライベートでも、カメラを持ち出すようになっていた。
私を闇の外へ連れ出してくれたZ6III
Z6IIIは前機種Z6IIの「もう少しこうなったらいいな 」をカバーしてくれている機種だと思う。例えばグリップが持ちやすくなっていたり、操作ボタンの位置がより押しやすくなっていたり。以前よりもさらに自分好みにカスタマイズできる機能が追加されていた。そしてもちろんフレキシブルカラーピクチャーコントロールの存在は大きい。「この世界をこう見ていたいんだ」という、自分の前に広がっていて欲しい景色を忠実に再現してくれる。ファインダーを覗いた先にその世界がもう見える。シャッターを切っていて楽しくないわけがない。
10年後、Z6IIIで撮影した写真を「これ、視点がいいなあ」と私が言ってくれることを願って。
誰かのために、そして自分のために。
これからもこの、やっと取り戻した感覚を失わないように生きていきたい。
古性のち
1989年横浜生まれ、タイ・チェンマイ在住。 飾らない日々をドラマチックに表現することが得意。共著に「Instagramあたらしい商品写真のレシピ」。2022年単著「雨夜の星をさがして 美しい日本の四季とことばの辞典」(玄光社)発売。
【編集部よりお知らせ】古性のち Z6III SPECIAL TALK
いち早くZ6III、そしてフレキシブルカラーピクチャーコントロールを体験した古性のちさんが、Z6IIIで撮影した作品とともに、体験談をお届けします。
Nikon Z6III Special interview │古性のち│ニコン
Z6IIIスペシャルコンテンツとFlexible Color Picture Controlスぺシャルコンテンツ
クリエイターがZ6IIIを通して表現する、それぞれの色を、写真と映像で楽しめるZ6IIIスペシャルコンテンツとクリエイター作成のレシピがダウンロードできるFlexible Color Picture Controlスぺシャルコンテンツ。