menu

あたたかいけれど、ちょっとせつない。明るいけれど、去りゆくものたち ― 大森めぐみ | 連載 Life is Beautiful. 私の愛する暮らし

連載「Life is Beautiful. 私の愛する暮らし」。
大好きな場所で毎日を丁寧に過ごしながら、日々変わりゆく光や機微をすくいあげ、写真に写す──。自身の暮らしを愛する写真家やクリエイターたちが、日常の中で心動く瞬間とは?すぐそばにある美しさに気づくことの大切さを学びます。
全8回の連載、第1回は「主な被写体は家族や友人」という写真家の大森めぐみさんです。

  • 作成日:
  • 更新日:
目次

プロフィール

大森めぐみ

写真家 1995年生まれ、東京都出身。多摩美術大学グラフィックデザイン学科博士前期課程を修了。2020年、上田義彦キュレーション「Touch of Summer」に選抜。2021年3月号より雑誌『宣伝会議』のカバーを担当している。2022年「第3回epSITE Gallery Award」グランプリ受賞。丸の内エプソンスクエアにて個展「Bright Portraits あかるい写真」を開催。広告をメインに活動する傍ら、プライベートでも生活を感じる写真を撮り続けている。写真集『Grief and loss』が発売中。直接販売もしているため、問い合わせは本人のインスタまで。
愛用カメラ:Contax Aria
愛用レンズ:Planar T*50mm F1.4 MM

あたたかいけれど、ちょっとせつない。明るいけれど、去りゆくものたち

「窓際で咲いている花がふと目に入り、撮影しました。母は花が好きで、人知れず花を育て、活けています。母が育てた花を見るたびに、現代の価値観とは遠く離れたところにある、母の心の豊かさを思います。自分の暮らしを豊かにするために、コツコツがんばってきた人。写真に収め、SNSに投稿するのは、そんな母を世間に評価してもらいたい、という思いがあるのかもしれません」。

「実家が好きで、2週間に1度くらい、本当によく帰っています。このときは、庭の一角に蜘蛛の巣があって、光を反射してCDのように見えました。木の一部が人の形に見えたりするように、この世に存在する形にはじつは限りがあって、世界はひとつだなって、このときやけに感動したのを覚えています」。

「72歳の母が、自宅でスマートフォンをいじっている、ただそれだけの写真です。ただ、こういうなんでもないときの自然な姿こそ、将来価値のあるものになるだろうなって思います。私の前からいなくなってしまうことにうっすらとネガティブな感情を抱きながら、それでもやっぱり恋しくなる前提で、将来自分がこの写真を見たくなると思います」。

「母が育てたバラとランの花。バラはピークを過ぎ、しおれていました。ランは、撮っているとだんだん顔に見えてきました。毒々しいものもあるけれど、それがきれいな形にまとまって、まるで婦人たちが並んでいるように感じられます。実家にある花は、母がいいと思ったからそこにある。大切な人が大切にするものは、私も大切にしたい、という思いがあります」。

大切な人が大切にするものは、私も大切にしたいと思うから

「姪です。子どもって瑞々しくて、絶望がなくて、ピチピチで、惹かれます。自分が10代、20代前半の頃は、若さに価値を置かれることに嫌悪感を抱くようなことがありました。でも今は、若いっていいなと素直に思います。きれいだな、美しいなと思いながらカメラを向けました」。

「実家に住む、12歳のおばあちゃん犬。2歳くらいのときに、『ご飯にありつけない犬がいるんです』とわが家に来て、年々甘えん坊になって今があります。どう?幸せ?うちに来てよかったかな?みたいなことを語りかけながら撮っていました。でも本当に、なるべく幸せでいてくれって思いますね」。

まず暮らしがあって、写真があるのだから。視点を操作しないことを大切にしています

「友人と行った、奥多摩を流れる川で撮影した1枚。時間がつながるとまるで蛇のような形になって、それを輪切りにしたのが写真、と感じることがあって。川も、水も同じで、つながっているんですよね。このときは、友人の手が川の流れを遮る様子を見て、写真だな、なんて思いながら撮っていました」。

「食が好きで、落ち込んだときも食べて元気になるようなところがあります。この1枚は、食べたいものを買い込んで、友人と近くの公園でもりもり食べた、忘れられない1日の写真です。互いに万全でもピカピカでもない自分を磨いてもらったような気持ちになり、同時にそんな暮らしができていることへの安心も得ていました」。

「心の支えにしている友人と、その愛犬。この友人とは、元気なときとそうでないときのサイクルが本当に似ていて、元気がないときは、友人宅で2~3日、自炊をしながら各々好きなことをして過ごし、チャージして帰るということをしている。フライパンはテフロンがハゲてるし、マグのフチも欠けている。でも、暮らしってこれでいいんだなって感じられるんです。依存せず、食べて、ぬくぬくと寝る。暮らしにおける、人と人のかかわりとしてしっくりきます。この写真は、そんな暮らしが詰め込まれた1枚です」。

暮らしを超えた、 もっと広く大きなものを愛したい

「私はもともと、“記録”として写真を撮り始めました。4人兄弟の末っ子で、物心がついたときには親がもういい年で、漠然とした不安や怒りのようなものをいつも抱いていました。写真はカメラサークルに入った姉の影響で始めたのですが、写真を撮ると、心が軽くなるのを感じました。私がカメラを向けるのは、主に母や友人たち。学生時代、友人と過ごす時間は、その時間が過ぎ去ることが不安になるほど楽しくて、写真を撮るのはいつも、キラキラしてまぶしい!今が楽しすぎてつらい!!という思いからでした。母も同じで、刻々と時間は過ぎ、私の前からいなくなるという不安を、写真に記録することで落ち着かせることができたのです。私にとって写真は、手放す準備。愛するものを手放すための記録であり、人生をかけた終活のようなものなのだと思います。そのため生活と写真は一体で、何かひとつが突出しているということはありません。地続きになっている生き方を大切に、その生活をしないと撮れないものをただ撮っている。なので逆に、何かに忙殺される暮らしはまず考えられません。身の回りのものを愛せるように、周りの人が愛するものを愛せるように、そして写真を撮れるように──、そうした豊かさを大切にしています。ただ最近は、手放してもいい、忘れてもいい、というフェーズに入ってきました。暮らしを超えた、もっと広く大きなものを愛したい、と思うようになってきたんです。人や物事は、影響し合い、変化していくもの。遠い誰かの人生の喜びが自分にも影響して、自分の喜びもまた誰かに及んでいく。これまで愛する自分の暮らしを十分に生きてきました。この先は、広く愛していけるはずだと思っています」。

GENIC vol.74 【Life is Beautiful. 私の愛する暮らし】
Edit:Chikako Kawamoto

GENIC vol.74

2025年4月号の特集は「It’s my life. 暮らしの写真」。

いつもの場所の、いつもの時間の中にある幸せ。日常にこぼれる光。“好き”で整えた部屋。近くで感じる息遣い。私たちは、これが永遠じゃないと知っているから。尊い日々をブックマークするように、カメラを向けてシャッターを切る。私の暮らしを、私の場所を。愛を込めて。

GENICオンラインショップ

おすすめ記事

半径1kmにある幸せ 中川正子

My room and the time. 濱田英明

次の記事