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旅の楽しさを教えてくれた国の記憶/ぽんずのみちくさ Vol.10

ぽんず(片渕ゆり)<連載コラム>毎週火曜日更新
ほんとに大切にしたい経験は
履歴書には書けないようなことばかり
旅をおやすみ中のぽんずが送るコラム

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旅の楽しさを教えてくれた国の記憶/ぽんずのみちくさ Vol.10

遠い国やマイナーな国、行きづらい国へ行った人の話を聞くのはおもしろい。どんな遠くにも、人の暮らしがあるということ。想像を絶する景色があるということ。行くだけでも大変な場所のことを知るのは興味深い。旅好きのあいだでは、マイナーな国に行くことが一種のステータスのように扱われることもある。

じゃあ、近い国での体験は、遠い国とくらべて価値が下がってしまうのだろうか?そんなはずはない。だから今日は、近い国の話をしたい。

九州で生まれ育った私にとって、韓国は身近な存在だった。東京へは行ったことがなかったけれど、韓国の釜山(プサン)には家族旅行で何度も訪れた。福岡から高速船で3時間。港を降りれば、すぐそこに街が広がる。

父いわく、最初は「国内旅行より安いし、一度行ってみるか」くらいのノリだったらしい。それが、何度か訪れるうちに、家族全員がどっぷり韓国の魅力にハマってしまった。

こんなにも近いのに、飛行機にさえ乗らずに行けるのに、そこには日本と違う光景が広がっている。カラフルなパラソルが並ぶ市場の雑踏、香ばしい匂いをただよわせる夜の屋台、屋外に響くパワフルな音楽、目に飛び込むのは記号のような文字。

切符を買うのに戸惑っていたら「日本語を勉強してるんです」と学生が手伝ってくれた。電車に乗ったら、若者が躊躇なくお年寄りに席を譲るのを見た。きょろきょろしながら歩いていたら、魚市場の新鮮なタコに墨をかけられた。何を食べても辛く、「ふつうのラーメン」と書かれたものを頼んでも激辛ラーメンが出てきた。博物館へ行ったら、係の人が英語で案内をしてくれた。まだその頃、日本人の存在は珍しかったのだろうか。彼は、私たちが館内を出たあとも、見えなくなるまで手を振り見送ってくれた。

そのどれもが、幼い私には光って見える経験だった。この国を好きになるのに、じゅうぶんな理由だった。

もっと韓国のことを知りたくなって、中学生のころの私は母と小さなゲームをした。「旅のあいだに街中で見つけた文字を、どれか1つ覚えて帰ろう」。

当時はGoogleもなく、簡単に調べる術はなかった。真っ先に目に入った文字の形を覚えて帰国し、日本で辞書を買って調べた。

私の覚えた文字は、あろうことか「酒」だった。

体力があるうちは、とにかく遠くへ、遠くへ行かなくちゃ。そんな気持ちで焦っていた。だけど、新型肺炎の影響で旅が自由にできなくなってしまった。

また安全に旅を楽しめる世界になったら、どこに行きたいだろう――

素直な気持ちで考えたとき、今、心に浮かぶのは、最初に旅の楽しさを教えてくれた場所、いちばん近い隣の国だ。大人になって久しぶりに訪れる馴染みの場所。きっとそこには、新しい魅力が待っている。

ぽんず(片渕ゆり)

1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。

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