強い音なら誰でも出せる/ぽんずのみちくさ Vol.7
子供のころ、9年間、ピアノを習っていた。9年間、欠かすことなく毎日ピアノを弾いていた。
好きか嫌いかで言うと、嫌い、だったと思う。
「嫌いなら辞めればいい」と思う人もいるだろうが、それは大人の考えだ。幼い私にとって毎日の習慣とは鉄のルールに等しいもので、歯磨きとか学校とかと同じくらい、好き嫌いに関わりなく毎日に組み込まれていた。
ピアノにまつわるイメージがそもそも嫌いだった。ドラマや映画に出てくる「ピアノを習ってる子」は、いつだって白いぶりぶりしたドレス。くるくる巻いた髪に、冗談みたいなおリボン。やめてくれよ、と思っていた。
好きな演奏記号を3つ挙げるなら
f フォルテ(強く弾くという意味)、
ff フォルテッシモ(とても強く)、
fff フォルテシシモ(フォルテッシモよりさらに強く)。
結局ピアノを心底好きだと思うことがないまま中学に上がり、部活と勉強を理由にピアノを辞めた。ずいぶんと小さいころからお世話になったのに、辞めたその日から二度と挨拶にも行かなかった。寂しいどころか、晴れ晴れとした解放感だった。
なのに、大人になった今になって、ピアノの先生の言葉を思い出すのだ。
「弱い音を大事にしなさい」
発表会に向けて、曲の練習をしているときだった。「革命のエチュード」をこれでもかと叩きつけるように弾く私に、彼女は何度も注意した。
「f フォルテ(強い音)は叩けば出るのよ、p ピアノ(弱い音)を大事にしなさい」
不服だった。私は、ふりふりドレスを着た "良いとこのお嬢さん" とは違う。もっと強く速く弾きたいのだ。これは革命の曲だ、甘ったるいリボンなんてつけない。発表会は黒いTシャツで出ると決めていた。この曲は、私の弾くピアノは、強いのだ。なんで、弱い音なんか大事にしなきゃいけないんだ。大きな音で速く弾いた方が、みんな驚くし褒めてくれるのに。
結局、最後まで弱い音は大事に弾けないままだった。長い年月が経ち、もう指は動かないし、実家のピアノはなくなってしまった。
だけど、あまりに晴れた空が居心地悪く思えるとき、光より影のほうが美しいなと感じるとき、のびのびと幸せそうにしている人が眩しすぎるとき、「もっと速く」「さらに上に」「より多く」と誰かに急かされたとき、ちょっとだけ思う。「強い音は誰でも出せる」と。強いだけが美しさではなく、目立つことだけが正義ではなく、多くの人に褒められることだけが価値ではない。
弱く、弱く。弱い音を大事に。
ぽんず(片渕ゆり)
1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。