熊谷直子
写真家 兵庫県出身、東京都在住。雑誌や広告、舞台などの撮影で幅広く活躍するかたわら、個展などを通してパーソナルな作品も発表。『anemone』、『月刊二階堂ふみ』、杉咲花『ユートピア』、『赤い河』、川上なな実写真集『すべて光』など作品集多数。
【BIOGRAPHY】
1995年 阪神・淡路大震災で被災
1996年 渡仏。写真と芸術を学ぶ
2002年 帰国。藤田一浩氏に師事
2003年 独立。ファッション写真を中心に撮影
2008年 初個展「aneomone」開催。これをきっかけに、写真家の道を歩み始める
2009年 写真家・笠井爾示氏と出会い、写真家の生き方を目の当たりにする
2011年 東日本大震災。気仙沼に通うように。母がくも膜下出血で倒れる。すべてがターニングポイントとなり、写真家として第2のステージに入っていく
2017年 2011年以降抱いていた気持ちをすくいあげた、初のパーソナル本格写真集『赤い河』出版
2022年 3年間にわたりひとりの人物を撮り続けた、川上なな実写真集『すべて光』出版
わたしは写真(ここ)にいる。
個展はわたしを救ってくれるものでした。もう戻れないと思いました。これは定期的に出していかないといけないってことが自分自身でわかった───2008年、初の個展「anemone」
2009 anemone
2019 TOKYO
笠井爾示さんとの出会いは、写真家という人の生き方を目の当たりにするものだった。『撮りたいものを見つけたら撮る。毎日撮る。そうでなければ写真家じゃないだろ』って───2009年、写真家たちとの出会い
2022 TOKYO NIGHT
2022 桜
2018 ソウル
2019 TOKYO NIGHT
2021 光
2018 台湾にて
一眼レフカメラがごろごろ転がっていているような家庭で育ち、小学2年生の時にお年玉を使って初めて自分のカメラを買いました。
子どもの頃は体が弱くて家にいることも多かったんです。そんなこともあって、写真は自分の世界を表してくれるスーパーマンみたいな感じでした。
何を撮っていたかといったら言葉では今と変わらなくて、日常なんですよね。飼っていた猫とか、道端とか。高校卒業後から4年間過ごしたパリでも、自分が撮りたいものを撮って、プリントするということをやっていた。
それが、2003年に独立して、初めて仕事の写真を撮り始めることになって。仕事の写真って「こういう風に撮ってほしい」というお題がある。ずっと忙しく仕事をいただいていて、でもやればやる程、自分の撮りたい写真と求められている写真とがかけ離れていく感覚に、苦しくなっていきました。
写真がわからなくなったというよりも、自分自身の人生に迷いはじめていたんだと思います。それで、個展をしました。
「私、ここにいるよ」っていうのを見てほしいし伝えたかったんです。
またその頃は、写真家の知り合いが増えていった時期でもありました。その中のひとり、笠井爾示さんに出会ったことが大きくて。爾示さんの写真との向き合い方は、写真家という人の生き方を目の当たりにするものでした。写真家に舵を切り始めた、フォトグラファーとしてのターニングポイントがこの頃だったんです。
阪神・淡路大震災のときは、感情とかいろんなことを封印していた。それが東日本大震災でフラッシュバックして、全部戻ってきたんです。この年、写真は自分の人生のハイライトを残すという意味合いに変わっていきました───2011年、東日本大震災、母のこと
2019 オクチョンにて
2015 母 『赤い河』より
2019 東京
2015 気仙沼 『赤い河』より
2021 実家にて
写真は自分の世界を表現してくれるスーパーマンであり、私の内面をさらけ出す鏡。自分には写真以外にやれることってない、とは思わないけど、写真を撮らなくなっていくという選択肢はないですね───2022年、熊谷直子の現在地
2014 桜
2018 ソウルにて
阪神・淡路大震災のとき、私は高校3年生で、尼崎の自宅で被災しました。その時はあまりのことに消化し切れず、すべての感情を封じ込めていたように思います。
今振り返ると、翌年フランスへ行ったのも、そこから抜け出したかったのもあったんだろうな、と。それが、東日本大震災で、フラッシュバックするかのように全部戻ってきた。
大人になった分、今だったら被災地をちゃんと見られると思い、写真洗浄ボランティアを最初のきっかけに、気仙沼に通うようになりました。
また、母が倒れたのもこの年。思っていることはちゃんとやっていかないといけないということを、自分ごととして強く実感することになりました。そうすると不思議なもので、撮りたい被写体がどんどん出てくるようになった。母のことも、意識的にカメラを向けてみるという行為を初めてするようになりましたし、また特に何かを作り込まなくても、日常の中にある美しさをより一層美しいと感じるようになった。
それから現在に至るまで、迷いはありません。美しい夕日を、本気で美しいと思ってシャッターを切ると、やっぱりすごく強い。美しい夕日は誰が撮ったとしてもいい写真だけれど、でも感情があれば、そこにはちゃんと自分が写っている。たとえ人を撮っていても、写真には私自身が写っているんです。結局、小学生の頃から変わっていない。写真は私を表現するツールであり、生きることにつながっています。
GENIC vol.64【写真家たちの履歴書】
Edit:Chikako Kawamoto
GENIC vol.64
GENIC10月号のテーマは「写真と人生」。
誰かの人生を知ると、自分の人生のヒントになる。憧れの写真家たちのヒストリーや表現に触れることは、写真との新たな向き合い方を見つけることにもつながります。たくさんの勇気とドラマが詰まった「写真と歩む、それぞれの人生」。すべての人が自分らしく生きられますように。Live your Life.