纏う服がくれる力/市川渚の“偏愛道” Vol.03
幼い頃から欲しいと思った服について説明するとぴったりのサイズで母が作ってくれるという環境にあったことも手伝ってか、自然と将来、自分は服を作ることを仕事にするんだろうなあと小学生くらいの頃から漠然と思っていた。
そんな流れから、ファッションデザインの道に進み、一時期は本気でファッションデザイナーを目指していた。
力不足を感じて、その道は一旦諦めてしまったけれど、20代の頃は仕事としてもファッションの世界にどっぷり。
だから、一つの服がどんな工程を経て作られ、どんな過程を経て私たちの手元に届くのか、一通り理解しているつもりだ。
そんな前提がありつつ、前回は「心地よさ」に対する並々ならぬこだわりについてお話ししたが、こと身に纏うものにおいては、あえて「心地よくない」ものを選ぶことも多い。
今回はそんな服に対する偏愛についての話をしようと思う。
心地よい服も、もちろん好きなのだけれど。
デザインという行為を経て完成したプロダクトには、一つ一つディテールに必ず意味がある。
服であれば、どのように1つの服を形作っていくか、その過程は膨大な選択という行為の連続だ。
どんな生地を使うか、どんな仕立てにするのか、ボタンやファスナーの種類、縫い目のピッチ、糸の太さ、色、ボタン、ネーム(タグ)など、どこかに少し手を抜くだけで、服自体が放つ空気が変わってしまう。
そういった小さな要素の集合体が1着の服なのだ。
突き詰めれば突き詰める程に、終わりや正解のない作業である。
服を生み出すというのは本当に大変な仕事だ。
片手で持ち上げられないくらい重いレザージャケットには、その重さがあるからこその存在感を醸すことができたり、引っかかりやすい素材だからこそ繊細な織り模様が表現できたり。
扱いづらさ、着づらさにも意味があるのだ。
人によってはNGだと思う人もいると思うけれど、私はそんなことにも納得してしまう。
去年手に入れた「AKIRA NAKA」のレザーライダースは、そんな服の代表格だ。
レザーの中でも特に硬いホースレザー(馬の革)を使ったとてつもなく重いライダースなのだけれど、ホースレザーにしか出せない硬質な輝きと動き、それらと品のある光沢感が美しいイタリアのファスナーメーカー「RACCAGNI」のファスナーとが相まって、とてつもない存在感を放っている。
自分が負けてしまうので、相当気合いが入っている時しか着られないのだけれど……クローゼットに入っているだけで、ワードローブ全体にピリッと緊張感が生まれる1着。
そう、細部までこだわり抜かれた服はある意味で着る側に優しくなかったりする。
でも、そんな服自体が放つ存在感は強烈で、それを纏う私たちに得体の知れない力を与えてくれる。
だから、ある視点から見れば「心地よくない」服だとしても、私はそれを選ぶ。
もちろん、大前提に格好よいのは服であって、自分ではないのだけれど、強い力を持つ服に長年戦いを挑み続けたこと、その戦歴自体が存在感や自信というかたちで自分自身の力となってくれている気がすると、三十路を過ぎた頃から思うようになった。
服に負けないよう、無意識に自分をチューニングしていくからだ。
若い頃から自分で選んだ自分が好きな服を身に纏うことで、力をもらってきた。
他人を信じられず自分に全く自信がなかった10代の頃から、いい大人になった今でも、いつだって自分に自信をくれるのは、どこかの誰かが長い時間、真摯に向き合って生み出した1着の服だ。
だから私も、いつまでも服と真摯に向き合える人間でありたいと思う。
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市川渚
1984年生まれ。N&Co.代表、THE GUILD所属。
ファッションとテクノロジーに精通したクリエイティブ・コンサルタントとして国内外のブランド、プロジェクトに関わっている。自身でのクリエイティブ制作や情報発信にも力を入れており、コラムニスト、フォトグラファーやモデルとしての一面も合わせ持つ。