高橋伸哉
写真作家 1972年、兵庫県出身。フィルムからデジタルまでマルチに撮影し、作家活動のほか企業案件もこなす。SNSのフォロワー総数45万以上。「#shinya写真教室」毎月開催、「shinya写真塾」開講中。著書に『情景ポートレートの撮り方』(玄光社)、『写真からドラマを生み出すにはどう撮るのか?』(インプレス)。
【BIOGRAPHY】
1990年 フィルムカメラとの出会い
1992年 スタジオ勤務開始。物撮り中心で、葛藤を抱えていた頃
1997年 スタジオ勤務から不動産会社へ転職
2004年 トルコ旅行で撮影した写真をブログにあげ始める。コミュニティの基盤を形成していく
2012年 インスタグラムを開始。ここから現在に至るまで、フォロワー数を飛躍的に伸ばし、大きなコミュニティを形成していく。インフルエンサーとしても活躍
2016年 東京カメラ部10選に選ばれる。写真界隈で影響力のある人たちと知り合うきっかけに
2017年 Twitterもやるようになり、人との交流はさらに広がっていく
2018年 アイスランドでの撮影を機に不動産会社を退職。フリーランスフォトグラファーとして独立
2020年 『写真からドラマを生み出すにはどう撮るのか?』上梓。「#shinya 写真教室」開始
2021年 「shinya 写真塾」開始
2022年 『情景ポートレートの撮り方』上梓。「shinya 写真塾」2期開始
写真作家にたどり着くまでの四半世紀
Beginning...写真の気配はいつもしていた
2022 情景ポートレート
「学生の頃から写真はやっていて、知り合いのロケアシをやることもあった。でも僕は自立心の塊のような人間で、自分の稼いだお金で食べたいという思いが強く、高校卒業後すぐに会社勤めを始めました。そこでの仕事はやり甲斐もあった。けど、ふとこの先も続けて年齢を重ねることに疑問を感じ、退職してスタジオに入りました。芸術家になろうって思ったんです」。
しかしスタジオでの撮影は物撮りばかり。その頃はデジタルカメラもなく、Lightroom などを使う時代でもなかったため、電池ひとつ撮るのに半日かかるような細かい作業をこなし続けた。
「びっくりするくらいおもろない。わぁこれ全然おもろないなって。4年くらい続けたけれど、このままじゃだめだと思って退職したんです」。次に就いた仕事は不動産の営業職。今でも天職だと言えるほど合っていたそうで、そこから不動産業をしながら写真は楽しみで撮る生活になった。
Steps...続けるモチベーションはコミュニティ
2004 トルコ
2004 トルコ
「不動産業に夢中で3年くらいカメラ意欲がなかったけど、トルコ旅行をきっかけに再開したんです。せっかく撮ったし、人に見てもらおうと思ってブログにあげたら『いいね』がいっぱいついて。なんやこれ楽しい、とこっちもはまっていった。文章では写真業界の毒しか吐かないんですよ。自信満々で。それはそれで当時、面白かったんでしょうね。フォロ
ワーもどっと増えていきました」。
2012年にインスタグラムのアカウントを作ると、そこでも同じ現象が起きた。コミュニティの広がりと比例するように、高橋さんは写真に没頭していく。
「とはいえ僕の場合、写真よりキャラのほうが立っていて、『こいつの生き方、おもろいな』という感じで人が集まってきてくれた。ブログやインスタ、リアルでもフォトウォークをするようになっていって。そういうコミュニティが、写真を続けるモチベーションになっていたと思いますね」。
2004 トルコ
高橋伸哉さんの原点『メメント・モリ』藤原新也
「初めて読んだときに、すごい衝撃を受けた。ガンジス川に置かれた死体の足を犬が咥えている写真があったんですよ。その写真に対して、藤原新也が文をつけているんですけど、それも面白くて。その頃から文章も好きやったんで、強い写真に一文をつけたらこんなに響くんだっていう。今、写真家ではなくて”写真作家”で通しているのも、藤原新也の『メメント・モリ』が原点にありますね、絶対」。
2022 情景ポートレート
Ambition...写真作家・高橋伸哉をつくり上げる
2018 アイスランド
2018 アイスランド
「僕自身、写真家になるつもりは全然なかったんです。でも東京カメラ部10選に選ばれたことで、より感度の高い人たちともつながって、オフラインでの影響力も実感できるようになった。写真家一本でやっていきたいという思いが薄々出てきていたんです」。
そんな折、写真好きが集まる飲み会でアイスランド旅行の計画を聞く。
「まだあと1人行けるって聞いた瞬間、行くって即答してたんですよ。行くとなればそれなりの日数仕事を休まないといけない。いいタイミングだと思って仕事を辞めて、写真家として独立しました」。
しかし最初の1、2年は、インスタグラマーやインフルエンサーとしての高橋伸哉がついて回ることに葛藤を抱く。
「それで、SNSをTwitterに移行したんです。それからだいぶ変わりました。写真作家・高橋伸哉という土台を作っていくことができましたね」。
2018 アイスランド
Realize...きっちり撮ることの面白さを知る
2022 情景ポートレート
「仕事の撮影は、自分が撮りたいものを撮るわけでもないじゃないですか。あとレタッチでほくろを消すとか。それって、無邪気に撮っていた過去の僕が揶揄していたザ・ポートレートなんです。でも面白いのがそれをやっているうちに、きっちり撮るポートレートも奥深いなと感じ始めたこと。むしろそればっかり撮るようになっている」。
情景ポートレートにもその行程で得たスキルが反映され、ひとつのジャンルとして成立、書籍の出版も実現させた。
「とはいえ僕って、まず自分の人生のストーリーを考えるんですよ。いま写真展や写真集についての構想がありますが、中身というより、どういうシナリオで世に出すのかが重要だと思っていたりして。どうやったら自分が脚光を浴びられるのかっていうことなんですよね」。
高橋さんにとって写真は、人生というドラマを演出するためのツールなのだ。
強い自立心に突き動かされながら面白いか、面白くないかで決めてきた。
2022 情景ポートレート
人生の ストーリーを想像し目指す場所へと自分自身を導いていく。
2022 情景ポートレート
2022 情景ポートレート
高橋伸哉さんが影響を受けた人 荒木経惟
「20代の頃は『意味がわからん』てほとんど怒りに近い感情を彼に抱いていたくらい。それが30歳過ぎた頃から見方が変わっていった。僕も気分的にはただの趣味人なんですけど、アマチュアって基本的には身近なもの、自分が感じたものを撮るじゃないですか。私写真というものにおいて、ひとつの革命を起こした人だと思う。それで結局いま、荒木さんと同じようなことしているから、少なからず影響を受けているのかなあと」。
GENIC vol.64【写真家たちの履歴書】
GENIC vol.64
GENIC10月号のテーマは「写真と人生」。
誰かの人生を知ると、自分の人生のヒントになる。憧れの写真家たちのヒストリーや表現に触れることは、写真との新たな向き合い方を見つけることにもつながります。たくさんの勇気とドラマが詰まった「写真と歩む、それぞれの人生」。すべての人が自分らしく生きられますように。Live your Life.