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飯沢耕太郎/コラム「撮り続けた軌跡が人生となる。」

所有する約5000冊の写真集を「写真食堂めぐたま」で公開している、写真評論家の飯沢耕太郎さん。
まったく異なる道を歩んだ4名の写真家の数奇な人生を考究し、「自分本来の在り方で、写真を撮り続けるということ」を教えてくれます。生きることと写真の関係性を学ぶコラムです。

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飯沢耕太郎

写真評論家・きのこ文学研究家 1954年、宮城県出身。1977年、日本大学芸術学部写真学科卒業。1984年、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程修了。雑誌やWebなどへ写真評論を多数寄稿。主な著書に『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書)、『デジグラフィ』(中央公論新社)、『きのこ文学大全』(平凡社新書)、『写真的思考』(河出ブックス)、『深読み! 日本写真の超名作100』(パイインターナショナル)などがある。

自分本来の在り方で、写真を撮り続けるということ

ヴィヴィアン・マイヤー、ソール・ライター、深瀬昌久、増山たづ子。
この4名は、数奇な人生を歩み、そして高く評価されている写真家である。

ヴィヴィアン・マイヤーは、生前1枚も作品を発表することなく、彼女の死後、倉庫に眠っていた作品が発見され、突然脚光を浴びた。ベビー・シッターだったという彼女は、その職で転々としながら膨大な数の作品を残し、しかもクオリティが異常に高い。

対してソール・ライターは、ファッション写真家として名を馳せていたけれど、だんだんと下火になっていく。隠居生活のような暮らしの中でひとりニューヨークの街を撮り続けた作品が、再び脚光を浴びた。画面の全体をモノトーンにして、一か所だけ色を入れる。何も写っていない空間の生かし方も卓越していて、それはテクニックというよりも、彼自身のスタイルで、その写真にみんなが衝撃を受けた。

深瀬昌久は究極の私写真を残している。彼の写真を見ていると、人生と写真を密着させるというのは、怖いことでもあるというのがわかる。そこで見えてきた自分は、グロテスクで醜いこともあるわけで、行為はエスカレートしていく。最後は肝心の自分自身を殺すというところまでいってしまうようなね。でも、そのギリギリのところで撮った写真というのはすごくいい。

そして増山たづ子は、ダムに沈むことになった故郷を撮り続けた。自然や村の人々の営みを写した作品の数は10万枚にも及んで、写真集も出版され、展覧会も行われた。彼女にとっては一枚一枚に意味がある。そして見る我々にとっても、ちっとも知らない村なのに、普遍的なものとしてみんなの記憶や体験に重なる部分がある。

まったく異なる人生を歩んでいても、彼らの写真は等しく、素晴らしい

結局この4人、生きることと写真の見分けがつかないんだよ。根源は“私写真”ということでもあるんだろうね。生と写真が密着すればいいということではないけれど、写真を撮り続ける、いい写真を撮り続けることのきっかけにはなる。そのきっかけを、きっちりまっとうしていったのがこの4人。

写真家として評価されるかどうかなんて、まったく考えてない。それがただのゴミくずなのか、ダイヤモンドなのかは誰かが決めていく。でもまず、その塊を持っていたというのは、すごく大きいことなんだ。

1.人知れず、ひたすらに撮り続けた謎のアマチュア写真家

ヴィヴィアン・マイヤー

『Vivian Maier Street Photographer』(2011powerHouse Books)

『Vivian Maier Street Photographer』(2011/powerHouse Books)

1926年、ニューヨーク生まれのアマチュア写真家。シカゴでベビーシッターとして約40年間働きながら、空いた時間に写真の撮影をしていた。主な被写体はニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルスの人物や建物で、世界中を旅して撮影していた。15万点以上に及ぶ作品は死後発見され、認知・脚光を浴びた。

2.「救いようのないエゴイスト」と言われた、日本を代表する写真家

深瀬昌久

『洋子/Yohko』(1978/朝日ソノラマ)

『洋子/Yohko』(1978/朝日ソノラマ)

1934年、北海道生まれ。1974年、ニューヨーク近代美術館で開催された、日本の写真家を初めて世界に紹介した写真展『New Japanese Photography』に土門拳や森山大道などに並んで妻・洋子の写真を展示したことで話題に。展覧会『私景’92』を開催した1992年、新宿・ゴールデン街のバーの階段から転落。重度の障害を負い、施設で余生を送った。

3.沈みゆく故郷の営みを、慈しみを込めて写真に残した

増山たづ子

『故郷 私の徳山村写真日記』(1983/じゃこめてい出版)

『故郷 私の徳山村写真日記』(1983/じゃこめてい出版)

1917年、岐阜県生まれのアマチュア写真家。夫を太平洋戦争で亡くし、農業の傍ら民宿を営んでいた。故郷の徳山村がダム建設により水に沈むことを知って以来、「夫が帰ってきたら見せたい」という思いから、村と村民を撮影し続けるように。「カメラばあちゃん」の愛称で親しまれ、“誰でも撮れる”で知られたコニカ C35 EF(通称:ピッカリコニカ)が愛機だった。

4.表舞台から姿を消し、ありふれた日常を奇跡かのように撮り続けた

ソール・ライター

『Early Color』(2006/Steidl)

『Early Color』(2006/Steidl)

1923年、高名なユダヤ教聖職者の父のもとに生まれ、その窮屈さから次第に絵を描くようになる。神学校と決別し夜行列車でニューヨークへ。『VOGUE』など多くのファッション誌で活躍するも仕事は徐々に減少。自分のためだけに撮る隠居生活の中で生まれた作品が写真集『Early Color』。世界中で旋風を巻き起こし、80歳を超えて再び脚光を浴びた。

写真集食堂 めぐたま

飯沢氏所有の約5000冊の写真集と、日本の美味しいおうちごはんが楽しめるお店。写真集はすべて閲覧可能で、写真関連の催しも多数開催。

基本データ

<住所>〒150-0011 東京都渋谷区東3-2-7 1F
<TEL>03-6805-1838
<営業時間>平日11:00〜23:00(L.O22:00)、土・日12:00〜22:00(L.O21:00)
<定休日>月曜、祝日

写真集食堂 めぐたま 公式WEB

GENIC vol.64【飯沢耕太郎/コラム「撮り続けた軌跡が人生となる。」】
Photo:Kenji Okazaki
Edit:Chikako Kawamoto

GENIC vol.64

GENIC10月号のテーマは「写真と人生」。
誰かの人生を知ると、自分の人生のヒントになる。憧れの写真家たちのヒストリーや表現に触れることは、写真との新たな向き合い方を見つけることにもつながります。たくさんの勇気とドラマが詰まった「写真と歩む、それぞれの人生」。すべての人が自分らしく生きられますように。Live your Life.

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