山田智和
映像作家・映画監督。1987年生まれ、東京都出身。日本大学芸術学部映画学科映像コース卒業。TOKYO FILM主催。Caviar所属。2013年、映像作品「47seconds」がWIRED主催 WIRED CREATIVE HACK AWARD 2013 グランプリ受賞、MTV VMAJ 2018にて「最優秀ビデオ賞“Best Video of the Year”」を受賞、SPACE SHOWER MUSIC AWARDS 2019において、最も優れたミュージックビデオ・ディレクターに授与される「BEST VIDEO DIRECTOR」を受賞するなど、数々の受賞歴を持つ。サカナクションや米津玄師などのミュージックビデオを手がけるほか、広告映像やファッション誌のビジュアル撮影、長編映画の監督など活動は多岐に渡る。作家活動としては、2019年に渋谷駅で行われたエキシビション「SHIBUYA/森山大道/NEXT GEN」にて“Beyond The City”を発表。同年、伊勢丹新宿店にて初の写真展「都市の記憶(2019)」を開催。2022年、3年ぶりとなる「都市の記憶」展を“Landscape”と題して開催した。
記録したいという強い欲求
カメラを向けた瞬間、街中に落ちている光の化身みたいなものにスポットライトをあてていける。そういう気持ちから自分の写真は出発した
日常生活の中や、あるいは社会的・政治的なことへの接点を通じて、今、自分が切り取らなくちゃいけないという“使命感”を抱くことがあって、その感覚を絶対に逃したくないという強い思いがあります。そういう使命感に駆られることは、カメラマンとしてかなりラッキーな瞬間。壮大な勘違いかもしれないけれど、よっぽどいい状況で、健康的な状態とも言えます。
使命感というと言葉が強いけれど、何も大げさなことばかりではありません。僕は生まれ育った新宿という街が好きで、例えば散歩した道とか、建物とか、ずっと変わらずに好きなところがある。それから天気がいい日の景色とか、雨の美しさとか。地に足がついていないと感動ってできないから、自分を構成する最も身近な日常もすごく大切。自分で見つけて、自分で感じる。結局、自分の足で理解しにいかないと僕は気がすまない。感じる沸点が自分の中にあるとして、それを揺さぶる行為が“自分の足で歩く”ということなんだと思います。どの作品も日常からつながっていくし、それはつまり、僕自身からつながっていくということ。世界への肯定感・否定感含め、視線や、どこに自分が立っているか、何に反応するのか。無意識でも意識的でも、そういう気持ちの一番先にあるのがシャッターなんです。
コミュニケーションツール
作品は自分自身とつながっていく。フィジカルやテクニックも大事だけど最後のテクスチャーに行きつくところまで自分のストーリーでいきたい
だから必然的なこととして、作品には少なからず自分の何かしらが載ることになる。今はいくらでもバーチャルに、話の延長上でやることができる。テクニカルなことも大事だし、そういう自分もいるけれど、最後のテクスチャーに行きつくところまで、やっぱり僕は自分のストーリーでいきたい。
そしてそれらのもっとも抽象的な考え方としては、僕にとって写真は、コミュニケーションツールであるということ。相手は一番大きいところでいうと社会なのかもしれないし、撮る対象でもあるし、自分自身でもあります。有機的なものを排除していく表現も面白いなとは思うけど、やっぱり自分にとって写真はコミュニケーションツールだから、あんまり無機質なものには興味がありません。
また写真があると、街中に落ちている美しい光の化身に、ちゃんとスポットライトをあてていくことができる。例えば立ち飲み屋で飲んでいるサラリーマンってすごくいいなって思うんですけど、カメラを向けた瞬間、スポットライトをあてられる。そういう気持ちから僕の写真は出発して、好きなものを切り取りたい、残したい、描きたい、伝えたい、という自分が持つ強い欲求を、満たしていっているのだと思います。
本質を捉えたいという欲望
本物になりたいって言ってるうちは全然なんだけど。でもそうなるためには今を積み上げていくしかない
そして、根底には本物になりたいという欲望がある。欲望の最も大きな源泉は「良い作品が作りたい」というものであり、これを成すために、自分自身の変化すべきところと変わってはいけないものとを模索しながら、どんどん本物になりたいという思いがあります。そう思っている時点で本物じゃない可能性があるから難しいけれど、とにかくやるしかない。今を積み上げていくしかない。本物かどうかは人生の最後に出せる答えかもしれないし、集積でしかないですから。
手段は何だっていい
映画もやるし、写真もやるしインスタレーションもやるし、MVもやる。単体ではあまり意味がなくて活動全体で初めて自分を評価できる
僕は映画も写真も、インスタレーションもMVもやる。作品トータルで自分らしさが伝わればいいし、相対的にしか自分のことは評価できないと思っている。やりたいことの方が先にあって、手段は何でもいいんです。写真でアウトプットしたいと思うようになったのには、映像だと追いつかなくなってきていたというのがあった。映像の企画って、出すまでに2〜3カ月かかる。表に出た段階ではすでに、撮ったものや伝えたかったことがはまっていないと感じるようなことが出てきた。その点、写真は身軽さがある。映像では追いつかなくなってきたところを、まず写真でやってみよう、やらせてください、というのがスタート。2017年にはじまった雑誌『EYESCREAM』の写真連載企画「TOKYO-GA」がはじまりで、当時は月刊誌で、月1回のペースでアーカイブできるっていいなと思いました。
ここまで駆け抜けてきて、作品を作らせてもらって、刺激もたくさんあった。そういう今日までがあって、今の僕は、内なるものに向き合っていきたいというフェーズにある。これまでを消化して、自分と向き合い、掘り下げ出していく。今年6月から7月にかけて開催した写真展「都市の記憶-Landscape-」も、そういう意味合いが強かったように思います。準備は、ここまでの自分を振り返る作業でした。
悩んでるときは、いい状態
撮るほどにひれ伏すこともあるけれどそういう状況ってすごく幸福なこと。人生がずっと続いていくって感じがするから
表現はその瞬間ごとに勝負していくものであり、自分の考えや見方も変わっていけばいいと思っている。今を積み重ねて、50歳、60歳でようやく何かが見えたらいいな、でも、さぼりたくないよねその時まで、という気持ち。同時に、表現も、目指している本物も、やればやるほど遠いことに気づかされる。圧倒的な届かなさは年々深まっているとさえ言える。それにここに来るまでも、常に悩みはつきまとっていた。もう2億回くらい、悩んでる。でも、それらはいい状態なのだと思ってやってきました。衝動だけでうまくいくこともあるけれど、ブレイクスルーはしていかない。これは写真だけでなく人生もそうだけど、新しいハードルを見つけることの方がだんだん難しくなっていくと思っていて。悩みや迷い、わからないというのは、新しい壁に触れているかいないかのバロメーターに他ならない。悩みのある状態というのは、何かが生まれる瞬間であり、その可能性があるときだから。
そして、僕の好きな「街」と「人」という被写体は、いくら撮っても面白い。街も人も完成していない。変わっていくから飽きないし、自分自身にも飽きないでいられる。先の見えなさにひれ伏すようなときもあるけれど、それって幸福なこと。人生が続いていくって感じがします。
GENIC vol.64 【山田智和/MIND:変わりゆくこと、変わらないもの。】
Edit:Chikako Kawamoto
GENIC vol.64
GENIC10月号のテーマは「写真と人生」。
誰かの人生を知ると、自分の人生のヒントになる。憧れの写真家たちのヒストリーや表現に触れることは、写真との新たな向き合い方を見つけることにもつながります。たくさんの勇気とドラマが詰まった「写真と歩む、それぞれの人生」。すべての人が自分らしく生きられますように。Live your Life.