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誰の目も届かないリンゴの色/ぽんずのみちくさ Vol.66

片渕ゆり(ぽんず)<連載コラム>毎週火曜日更新
ほんとに大切にしたい経験は
履歴書には書けないようなことばかり
旅をおやすみ中のぽんずが送るコラム

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誰の目も届かないリンゴの色/ぽんずのみちくさ Vol.66

ここに一つのリンゴがある。この赤いリンゴを机の上に置いて外へ出よう。みんな出ましたね。さて、部屋の中に置いてきたあのリンゴは、今も赤いままだと言えるでしょうか?

学生時代、哲学入門の授業の1回目に、教授がこんな話をはじめた。ほんとはリンゴなんて目の前になくて、想像するだけだったけど。

「当たり前を疑え」とはよく聞く言葉だけど、リンゴについて疑ってみるのはなんだか楽しかった。

想像上のリンゴが黄色になっても紫になっても特に差し支えはない。とはいえ、誰が見てようと見てまいと、外にあろうと中に置いてあろうと、やっぱりリンゴは赤いままだ。

しかし困ったことに、リンゴは赤いままでも、それについて考えている私自身は、部屋の外と中とで、色が変わる。まるで別物になってしまう。

「外」の私は、集中して文章だって書くし、はじめましての人と挨拶をして写真を撮ったりもする。電話だってかけるし、メールも返す。

だけどいったん家に入ると、もうだめだ。「中」の私は、目を離したすきにしなしなと変色してしまう。

メールひとつ返すだけで疲れてしまう。電話をかけるのだって億劫だ。同じ相手とLINEするのでさえ、外でならすぐに思い浮かぶ返事が、家の中だと浮かばない。ああでもない、こうでもない……と、たった一行の返信に頭を悩ませる。「外」の私なら簡単にできることも、「中」の私にはとてつもなく大変なことに思える。自分でもふしぎに思ってしまう。はっきりとした理由は自分でもわからない。ただ、同じことをしても、ゲージの減るスピードが目に見えて違うのだ。

どこにいたって安定した仕事をできる人間をプロと呼ぶならば、家にいると生産性の落ちる私はプロ失格だなぁと思う。誰に責められたわけでもないのに、自分で自分に失格の烙印を押して、ちょっと落ち込む。

思えば、学生時代に勉強するのはいつも図書館やカフェだったし、会社員になってからはオフィスがあった。がんばる自分はいつも家の「外」にいた。家の「中」で継続的にがんばり続けるなんて初めてのことだ。

教授はもう一つ、こんなことも言っていた。あなたの目に見えているリンゴの「赤」が、あなた以外の人に見える「赤」とほんとうに同じかどうかはわからない。あなたにとっての「赤」は、他の人にとっては「青」かもしれない。それは、確かめようがない。

もしかすると、がんばれない状態を「変色してる」と思うこと自体も一つの決めつけなのかもしれない。なんて、さすがにそれは採点が甘すぎるかな。

片渕ゆり(ぽんず)

1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。

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