最初のドミノ/ぽんずのみちくさ Vol.65
子どもの頃から、「なんでそうなるのか」という疑問が頭に浮かぶと、そればっかりを妙に気にしてしまい、そこから先が頭に入ってこなくなることがある。
高校生の頃、「帰納法」というものを習ったときもそうだった。帰納法の問題を解くときは、必ず「n=1のとき」を検証しなきゃいけないのだけど、私には、「なぜnが1なのか」がどうにも納得できなかった。
1も2も同じ数字だ。なぜ、毎回1の場合を考えるのか。なにゆえ2じゃダメか。10や100と、何が違うのか。「年齢はただの数字にすぎない」なんて洒落た言い回しだってあるくらいだ。そんな、1だけ特別だなんて。「ただの数字」の中に序列があってたまるか。…
「なんでn=1なんですか」。あまりの納得いかなさに職員室まで押しかけて質問すると、数学の先生はこう言った。「ドミノみたいなものだと考えてみて」と。ずらりと並んだドミノが倒れていくには、まず「1つ目」が必要なのだと。だからnは、1なのです。
わかったような、わからないような。結局、高校生のあいだに私が帰納法をすっきり理解できることはなかった。入試の結果も散々だった。
数学の先生は「そういうことじゃない」と言うかもしれないけど、大人になった今、最初の1が特別な意味がちょっとわかるようになった気がする。
出会ったばかりの人に向けて、初めて名前を呼ぶ。この行動がとてつもなく苦手なのだ。
「田中です」と言われ、名刺を差し出される。大きく「田中」と書いてある。目の前の人はどう考えても田中さんだ。そこまでわかっていても、最初に「田中さん」と呼ぶのになぜか勇気がいる。間違えているのではないかと不安になる。絶対に間違えているはずないとわかっていても、なぜか間違えそうな気になる。恐る恐る「田中さん」と呼んでみる。相手はもちろん反応してくれる。だって100%田中さんだから。
まわりから見ると「何がそんなに怖いのだ」と思われるこの一連の流れを、誰かと会うたび繰り返している。
閉所恐怖症や先端恐怖症みたいに、なにか名前がついてたりするのだろうかと検索してみたけれど、しっくりくるものは見つけられなかった。でも、広い世界のどこかには似たような人がきっといるはずだと思っている。
ちなみに2回目からは、それまでの不安が嘘だったかのように名前を呼べるようになる。
やっぱりn=1が特別なのだ。いまだに理屈はわからないけれど。
片渕ゆり(ぽんず)
1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。