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無生物との付き合い/ぽんずのみちくさ Vol.57

片渕ゆり(ぽんず)<連載コラム>毎週火曜日更新
ほんとに大切にしたい経験は
履歴書には書けないようなことばかり
旅をおやすみ中のぽんずが送るコラム

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無生物との付き合い/ぽんずのみちくさ Vol.57

生き物に嫌われるのは悲しいけど、生きていない物に嫌われている(と感じる)こともある。そしてそれは時に、猫にそっぽを向かれたり、犬に威嚇されたりするよりも悲しい。

東京でひとり暮らしを始めたばかりのころ、スキレットという調理器具が流行った。取っ手まで丸ごと鉄でできた、小さなフライパンのようなものだ。家具の量販店で安く買えて、見た目もおしゃれ。調理したあと、そのまま食卓に出せる。

ミーハーな私はいそいそとスキレットブームに乗り、そして失敗した。

スキレットは鉄製のため、火入れをしたり油を馴染ませたりと手間が必要だ。ひとり暮らしを始めてからずっと使い慣れているテフロン加工のフライパンとは訳が違う。

最初はよかった。カリッと焦げ目のついたフレンチトーストは、カフェのようとまでは行かずとも、そこそこ美味しく仕上がり、「勝った」と思った。何と戦っていたのかはわからないけど。

問題はその後だった。フレンチトーストに成功したことで満足してしまった私は、スキレットを放置してしまっていた。時期はちょうど梅雨に入ろうかというころ。湿気大国日本の空気の中、スキレットには異変が起きていた。真っ黒な左下に、なにやら赤茶色のものが見える。愛しのスキレットは、哀れに錆びていた。

錆の面積自体は大したことないが、つややかな黒い鉄の中に浮かぶ鈍い茶色は、のさばる虫歯のよう。無視できない存在感を放っている。

自分が手間を怠ったせいだとはわかっていても、スキレットに嫌われている気がして悲しくなった。そういえば、新品のパソコンがフリーズしたときも、2回しか履いてない靴下に穴があいたときも、レンタルのDVDが立て続けに再生できなかったときも、同じ気持ちになった。

犬に嫌われるのは「向こうも生き物だし相性ってものがあるよね」と納得できるけど、無生物に見放されると虚しさだけが残る。

過ちは繰り返すまい。

それからというもの、「鉄製の調理器具は使わない」という家訓を掲げて生きてきた。なのに。

ある日、引き換え期限の迫った引き出物のカタログを見ていたら、鉄のフライパンが欲しくなってしまった。

大きな鉄のフライパンでじゅうじゅう野菜を焼くところを想像したら、なんだか無性に楽しそうに思えてしまったのだ。鉄と木だけで作られた無骨なデザインも、なんだか新鮮。なんだかミニマル。

1週間足らずでフライパンは届き、私は丁重にもてなした。きれいに洗って乾かしたのち、油をとくとく注ぎ、しっかりと熱する。とっておいた野菜クズを炒めて油を馴染ませる。使ったあとは忘れずに空焚きし、撫でるように油を塗る。

今のところ、我が家の新しい無生物は錆びていないし、うまくやれている。どうか長生きしてほしい。

片渕ゆり(ぽんず)

1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。

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