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“好き”を撮って生きていく
「2009年、中国の瀏陽市から国際花火見本市『第九届瀏陽国際花炮節』に合わせた写真展を頼まれて中国へ行った時に撮影したもの。打ち上げの技術では世界一と言われている花火大会で、演出の展開が早いため、予想が全くできない中での撮影でした」。
「土砂降りの雨の中で撮影した、ちょっと幻想的な表情の花火です。雨が降ると煙が滞留してほとんど見えなくなるし、良い写真が撮れないので、記録として撮影する普段は雨の日には撮りません。この時は滋賀県の某所でシークレットとして打ち上げられた花火なので、自由に撮ろうとシャッターを切りました」。
報道カメラマンとして悩んでいた頃、花火に出会い癒され夢中に
「花火師さんとの交流も深まってきた1994年、ある花火師さんからスキー場での打ち上げ花火を撮らないかとお誘いが。それまで夏のものだと思っていた花火を、雪の中で打ち上げるというのを珍しく思いながら『白馬五竜スノーフェスティバル』の会場へ。初めて見る雪の花火は、真っ白なゲレンデを浮かび上がらせ、まるで幻想の世界。改めて花火に感動した瞬間です」。
「フリーの報道カメラマンとして、大阪の天神祭りの記録を頼まれたのが最初の花火撮影でした。事故や事件など目を背けたくなるようなものばかり撮影していたこと、そしていくら報道に関わっても世の中が変わらないことに悩んでいた時期で、花火と出会い、非常に癒されました。そこからライフワークとして全国の花火大会を撮影するようになり、いつしかそちらがメインに。さらに報道カメラマン出身ゆえか、花火をどのように打ち上げているかに興味を持ち、現場の取材を試みるようになりました」。
より深く現場に入るため花火師の資格を取得
「1998年の長野冬季五輪の花火は、県内の花火業者が協力し、競技場を囲むように4カ所から打ち上げたもの。業者に打ち上げ場所を教えてもらい、地図を見て競技場を何周もして撮影場所を決定。同じカットではありませんが雑誌にも使われています」。
「2013年の夏、壮大なショーで知られるフランスの『グループF』という花火業者のことを『家庭画報』の編集者に話したところ、取材できることになり、アヴィニョンでのイベントを訪れました。船に花火を仕掛けるなど、非常に緻密に計算されたパフォーマンスを準備段階から撮ることができ、印象に残る経験となりました」。
「打ち上げ現場は危険区域なので、そこに入るために必要な花火師の資格も取得。それ以降、肩書きをハナビストとし、花火を撮影しながら花火の文化や歴史などの研究も始めました。撮影で気にしているのは、写真を見ていただいた方にも、同じ時間を共有してもらえるようなものを撮ること。そのため、事前に球の大きさや風向きなどを確認し、打ち上げ現場にはお昼過ぎまでに入り、打ち上げ筒を中心に360度歩いて、花火と一緒に入れ込むものを計算して、三脚を立てる位置を決めます。花火を撮る上で、常に思うのは一期一会であるということ。同じ花火師の作品でも、打ち上げ場所が変わると見え方は異なります。これを予測して撮れると『やった!』と思いますね。そのためとにかく撮影は緊張するのですが、その緊張感がこの仕事の醍醐味でもあります」。
冴木一馬 プロフィール
冴木一馬
ハナビスト(写真家・花火研究家) 山形県出身。アパレル会社へ就職後、脱サラしてカメラマンとして独立。様々な雑誌関係の仕事を続けながら報道写真を撮るように。1987年から全国の花火大会を撮影、2000年以降は海外の花火大会にも赴き、トータルで約1400カ所以上を撮影。1997年に花火師の資格を取得。写真集に『花火景』(赤々舎)、『HANABI(花火)』(光村推古書院)、著書に『花火のふしぎ』(ソフトバンククリエイティブ)、『花火ハンドブック』(文一総合出版)など。
愛用カメラ:PENTAX67、Canon EOS 5D、Leica M6
愛用レンズ:HELIAR Vintage Line 50mm F 3.5、Pentax SMC TAKUMAR 6x7 75mm F4.5、Canon EF70-200mm F4L IS II USM
GENIC vol.70【“好き”を撮って生きていく】
Edit:Satomi Maeda
GENIC vol.70
2024年4月号の特集は「撮るという仕事」。
写真を愛するすべての人に知ってほしい、撮るという仕事の真実。写真で生きることを選んだプロフェッショナルたちは、どんな道を歩き今に辿りついたのか?どんな喜びやプレッシャーがあるのか?写真の見方が必ず変わる特集です。