ハノンをもう一度。/ぽんずのみちくさ Vol.68
ヨーロッパを旅をしていたとき、鉄道の駅でよくピアノを見かけた。じゃれあいながら連弾する姉妹や、仕事帰りのスーツ姿で弾き始めるサラリーマンなど、さまざまな人がいて、たぶん、その場の空気をあたたかいものにしていた。だけど私は、なんとなく居心地が悪くなって、つい目をそらしてしまう。
私が子どもの頃、ピアノといえば習い事の代表格で、例に漏れず私もピアノを習っていた。
「ピアノをやりたい」と言い出したのは幼稚園生のときで、その日のことは、おぼろげながら覚えている。廊下の手すりにつかまりながら、「〇〇ちゃんもピアノはじめたんだよ、わたしもやりたい」といったことを親に訴えていた。
ピアノ教室に通うことを許された代わりに、「毎日弾くこと」が我が家のルールになった。そうして、私とピアノとの付き合いが始まった。
5歳からピアノをスタートーー。文字に起こすとなんだかいい感じ。上手くなれそうな気配がする。だけど、そうはならなかった。
あのときのピアノを弾きたいという欲求は、子ども特有の気まぐれみたいなもので、願望の程度で言えば「〇〇ちゃんとおそろいのセーラームーンの靴がほしい」くらいのものだった。「ピカチュウに会いたい」のほうが切実で、願望レベルはずっと上だった。
私にとって、ピアノが「音を楽しむもの」ではなく「毎日のノルマ」に変わるのに時間はかからなかった。ピアノはもはや歯磨きだった。めんどくさい、やりたくない、だけどやらないと気持ち悪い。そんな気持ちで毎日弾いていた。
特に苦手だったのは、「ハノン」。ハノンというのは指の準備運動や基礎練習を行うための教材で、きっと日本でピアノを習う人のほとんどが通る道なのではないかと思う。基礎練習というものが往々にしてそうであるように、ハノンはつまらない。はっとするメロディもなければ、聞き惚れる和音もない。ただただ、指を動かしつづけるだけの、退屈な練習。
好きでも嫌いでもないまま、日常の一部としてピアノと付き合い続け、やがて中学生になり、憧れの吹奏楽部に入部が決まった。部活の忙しさを理由に、ピアノ教室を辞めた。吹奏楽部の演奏を通して音楽の楽しさを知って、ピアノと離れた。なんだか皮肉な話だな、と思わないでもなかったけど、続ける理由がもう見つけられなかった。
それからさらに時間が経ち、大人になって、話は冒頭に戻る。ピアノを見ると、なんとなく後ろめたい気持ちになる。捨ててしまったもの。諦めてしまったもの。がんばれなかったもの。私にとってピアノはそういう存在だった。たまに気が向いて友達の家のピアノを触らせてもらっても、もう指は昔のようには動かない。悲しくなって、余計ピアノとの距離が遠ざかる。
7年間、くる日もくる日も毎日続けたのに、残ったのは、動かない指と罪悪感だけ……?そう思うと、いっそう惨めな気持ちになった。
今後もずっとそうなのかな、と半ば諦めていたとき、ひょんなことから演奏する機会をもらった。どんなに簡単なフレーズでも特訓しないと弾けないのはわかっているし、それならもう一度、腰を据えてピアノと向き合ってみようじゃないか。
そんなわけで、我が家に電子ピアノがやってきた。ピアノと同時に購入したのは、ほかでもない「ハノン」。子どもの頃は退屈そのものだったけれど、大人になった今思うのは、メソッドが確立されていることへの感謝の気持ちだ。何をどうすれば、指が動くようになるのか。どのくらいの量を練習したらいいのか。本体価格、1200円。コーヒー3杯分の値段で、得られるものは無限大だ。
目下のゴールは、3週間後に迫った演奏の機会を成功させること。そして、いつかまた旅に出たとき、旅先の駅に置かれたピアノで、好きな曲を弾くことだ。
片渕ゆり(ぽんず)
1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。