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【インタビュー:コハラタケル】ライカQ3による写真展「撮縁」開催。喜び、希望、葛藤、そして妻への想い

フォトグラファーのコハラタケルさんが、2023年6月発売の「ライカQ3」による写真展「撮縁(さつえん)」を開催。ファン待望の新機種「ライカQ3」の、日本におけるプロモーションに携わるフォトグラファーとして選ばれたときの率直な気持ち、写真展のテーマやステートメントに込めた想い、どんな作品を目指して撮っていったのか? さまざまな角度からお話を伺いました。

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コハラタケル

1984年生まれ、長崎県出身。建築業を経てフリーランスのライターとして経験を積み、その後フォトグラファーに転身。#なんでもないただの道が好き を発案するなど、日常の世界観とリンクしたエモーショナルでチャーミングなポートレートでも知られる。SNSを含むWEB媒体での広告写真を中心に活動する傍ら、山本文緒『自転しながら公転する』や、島本理生 『あなたの愛人の名前は』(文庫版) など、書籍カバーにも写真が採用されている。

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コハラタケル写真展「撮縁」

<東京>
会期:2023年5月27日(土) 〜8月27日(日)
会場:ライカギャラリー東京
住所:東京都中央区銀座6-4-1 ライカ銀座店2F
時間:11:00〜19:00
休館日:月曜
入場料:無料
問い合わせ:ライカギャラリー東京 (TEL 03-6215-7070)

<京都>
会期:2023年5月27日(土) 〜8月27日 (日)
会場:ライカギャラリー京都
住所:京都市東山区祇園町南側570-120 ライカ京都店2F
時間:11:00〜19:00
休館日:月曜
入場料:無料
問い合わせ:ライカギャラリー京都(TEL 075-532-0320)

ライカギャラリー東京
ライカギャラリー京都

ライカQ3との出会い

想像すらしたことがなかった仕事。自分が信じてきた写真が認められた喜び。若い世代へ示せた希望。

コハラさんの好きな"違和感"を取り入れた作品。東京に展示しているモノクロ写真の1枚。

今回の「ライカQ3」発表にあたり携わった内容は?

ライカQ3の発売に際してのプロモーションと、それに伴うライカギャラリー東京、京都での3カ月の写真展開催、オンライン発表会への出演、などです。写真展は東京14点、京都15点の展示で、そのほかにイベント用の作例も撮りました。

いつかやりたいと思っていた仕事でしたか?

ライカM11のときは写真家の佐藤健寿さんが撮影されていて、オンライン発表会とかも見ていたのですが、そこにまさか自分が立てる日が来るとは思ってもいなかったです。
カメラってそんなにたくさん新製品が発表されるものではありません。ライカももちろんそうで、新モデルには世界中が注目しているし、各国のプロモーションを誰が担当するかはSNSでも話題になったりするほどです。それを自分が担当するとは…。第一線で広告写真を撮っている人や、写真集をたくさん出しているような写真家に来る仕事であると考えていたので、"テレビの向こう側の話"みたいな感覚で。想像をしたことすらなかったです。

日本で最初にライカQ3を手にするフォトグラファーに選ばれた、そのときの気持ちは?

最初は頭が追い付かなかったけれど、すぐに"嬉しい"という気持ちに、そしてそれと同時にプレッシャーも感じました。でも一番は、自分が信じてやってきた、「こっちのほうが写真としていいんだ」という写真論というか…自分の写真が認められたんだ、という喜びですね。
何かひとつを見せる写真よりも情報量が多い写真が好きで、言語化は難しいけれど、どこかに違和感のある写真が好き。でもそういう写真って、素人が撮る写真と紙一重みたいに見られることもあって…。そこは本当は違って、自分では難しいことをこんなにもやってるのに、意外と気づいてくれる人が多くないんだな、思った以上に伝わらないんだな、って気持ちがずっとあった。
これがいい、と思ってやってるけれど、あまり評価されない。もちろんまわりから見れば、いろいろ活躍しているように見えているかもしれませんが、自分の中にはフラストレーションがあったんです。

でも今回ようやく、自分の写真が認められた、と思いました。この新製品のプロモーションは、日本だけではなくドイツ本社のチェックももちろん入ります。自分が信じてきた写真、「これがいいと思ってるんだ、僕は」という部分が認められた。その喜びの気持ちがとても大きいです。これからはもう自信を持って、自分はこっちの写真のほうがいいと思う、って言っていけるって思いました。

床に置いた鏡越しに撮影することで、萎れている花をまるで咲き誇っているかのように見せた1枚。

多くの人に希望を与えたのでは?

スタジオマンから始めて巨匠に師事して独立して、というわけでもなく、広告写真をバリバリ撮ってるわけでもない、SNSからのスタートでただの写真好きでやってきた僕のようなフォトグラファーが、この場所までたどり着けたというのは、いろいろな人の希望になると思います。こういうことは、こういう人じゃないとできないだろう、というような枠を取り払うことができたかなと。
オンラインサロンのメンバーにも、僕が伝える「いい写真」を実行してくれれば、こんな仕事を任せてもらえる可能性がある、ということを示せたことは大きいし、自信にもなりました。限界値が広がったし、若い世代に希望となるようなものを提示できたかなと思っています。

写真展「撮縁」のこと

「撮縁(さつえん)」

ひとりの人間を撮り続けることの難しさ。深く、そして切なく。私が余計な変化を求めたがために向き合うことができず、逃げていた。愛する妻にさえ、伝えられなかった。

私が追い求める写真について、彼女が理解してくれると思い込んでいた。しかし、彼女には彼女の人生があり、私には私の人生がある。それぞれが自分の道を進むことに気づくまで、随分と時間がかかった。

私たちは一般的な恋愛から始まった関係性ではなく、撮るひと・撮られるひとから始まった。今回の展示では私たちにしか撮れない写真を追求するためにも撮影の“中”と“外”を明確に分ける必要があった。プライベートな写真を一切封印し、出会った頃と同じように撮るひと・撮られるひとの関係性に戻って撮影を行った。しかし、あなたと過ごす時間や場所には、私たち二人にしかない空気感がある。

樹里へ。

私はあなたを妻として、そして被写体としても愛していることを、改めて伝えたかったのです。

妻を撮ることは決めていた。彼女じゃないと無理、という感覚だった。

樹里さんの祖母の家で撮ったという作品。東京と京都、違うシーンが展示されており、こちらは京都のもの。

写真展のテーマはいつ考えたのでしょうか?

この大きな話をいただいてから割と初期の段階で、「妻を撮る」ということは決めていました。樹里ちゃんの写真展示はいつかしたいとは思いつつ、10年後とか20年後でいいね、と二人で話していたんですが、今回の話をもらったときに、それに耐えうるだけの写真を創り上げられるのは、樹里ちゃんしかいない、というか、僕自身が思う「こういう写真が撮りたいんだ」というのを最大限に実現するためには、彼女じゃないと無理、という感覚でした。

ステートメントの内容について詳しく教えてください。

実は僕は樹里ちゃんを撮れなくなってた時期があったんです。ステートメントのとおり、樹里ちゃんとは、"撮るひと" "撮られるひと"という関係から始まったのもあり、僕にとってずっと特別な存在だったからこそ、自分が追求していきたい写真に対して、ずっと付いてきてくれると思っていました。一緒に高みを目指してくれるんじゃないかと。でも、樹里ちゃん自身はそうはいかなかった。あるとき、彼女は写る人としての高みを目指さなくなったのかな、という感覚がファインダー越しにあった。緊張の糸が切れちゃったなと感じたんです。

2017年とか2018年ごろ、SNSで「被写体やってます」という人は、どこか自分に劣等感があって、写ることによって自分を認めてあげたいという考えでやってる人が多いなという印象でした。自分の人生に葛藤したり苦悩したりしている人って、被写体として醸し出す雰囲気が違うんです。写真の力も増すというか。人生順風満帆な人より、そういう人のほうが僕が撮りたい雰囲気に近いというのもあるのですが。だけど、樹里ちゃんは幸せになりすぎてしまったことで、写る人としての鬼気迫る迫力みたいなものが薄くなっちゃったなと感じていました。

同じ人を撮り続けるというところで、本当は変化なんてなくていいはずなんだけれど、もっと新しいものを撮りたい、とか、前に撮ったのとは違うものにして樹里ちゃんに喜んでほしい、と思っていたけれど、そこが難しくなってしまった。変化を求めてしまったというのが悪かったと思う。常に何か新しいものを望んでしまって、それで撮れなくなりました。

彼女は、撮れなくなった期間に寂しい想いをしていたかもしれない。僕の心の奥底までは伝えていなかった、というか、僕自身もそのときはしっかりとわかっていなかったんです。こうなってしまったのは僕に余裕がないからか?技術が足りないからか?樹里ちゃんのせいにしてるだけなのか?
同じ人を撮り続けるなら変化をし続けなければいけない、という自分の考えから、その苦しい状況から結局僕は逃げたんだと思います。
だから今回、ステートメントの最後の一文をとにかく伝えたい、というのが最初からありました。

東京展示のリーフレットにもなった、ステートメントの隣に飾られている作品。

写真展が二人のリスタートのきっかけに?

樹里ちゃんをまた"撮りたい"と思えるようになったのは、今年に入ったころでした。僕自身の写真の技術が高まっていったのもあるし、歳を重ねたことによって気持ちにも余裕ができた。彼女も彼女で、被写体としても人間としても心の余裕が出てきて、今まであーだこーだ考えていた部分を全部包みこんでくれるようになった。だからこれからまたお互い、ゆっくり撮っていこう、と改めて。再出発です。
そのまま撮り始めることもできたのですが、"撮れない期間を経て今は撮れるようになった"というのを明確に位置づけるものがあったらいいな、という想いは持っていました。だから今回の展示の話をいただいたとき、そこでやりたい、と。

「撮縁」というタイトルに込めた想いは?

タイトルはシンプルに、日本語にしたいとは最初から決めていましたが、先にステートメントのほうができていました。僕と樹里ちゃんは、そもそも撮影というものがあったからこそ生まれた縁なので「撮縁」。今回の撮影を振り返っていたら出てきた言葉です。「撮影」と音の響きも似てるし、知らない人から見ても言葉遊び的なものが通じるかなと。威厳を感じるようなタイトルにすることもできるけれど、あまり行き過ぎてしまうと、いろいろな人が入り込める余地がなくなってしまう。それは、撮る写真でも意識しています。わかる人にはわかる、みたいなものではなく、一般的視点を大事にしたいなと思っているというか。その分野に対して詳しい人からだけクオリティが高くてすごいよね、と言われるようなものじゃなくて、もちろんそこも考えはするけれど、まったく写真をやってない人が見てくれたときも、何か思うところがあるような写真にするにはどうすればいいのか?っていうのをいつも考えています。

ステートメントとプロモーション。相反するような2つの、中間地点を探っていった。

「左は自分で光(黄色)のほうを向いている、右は樹里ちゃんで同じ方向を見ていなかった、ということをイメージした作品」。

どんな作品を撮っていこうと考えましたか?

単純な個展だったら、自分のステートメントに突っ走れるけれど、ライカQ3のPRとしても成立させなくてはいけない、そこが一番大変なところでした。プロモーションとステートメントって僕の中では一致しないもの。ライカQ3の性能がきちんと見えるものだけに特化するとただの作例になってしまうから、写真展として成立しない。でもステートメントを意識しすぎてしまうと、今度はカメラのスペックが伝わりづらくなってしまう。ステートメントにのっとった写真であり、ライカQ3の性能の良さをきちんと出せるような、その中間地点を考え、探るのにだいぶ時間がかかりました。

撮影期間は?どのように進めていきましたか?

実質の撮影期間は10日間くらいです。準備期間を含めて2、3週間。撮って選んでは、プリントしたものを壁に貼って、眺めて、何が足りないのか?を考える日々でした。今回、東京にも京都にもモノクロ写真を1点ずつ展示しているんですが、ライカの新しいカメラが出ますとなったら、モノクロの写真を見てみたい人も多いんじゃないかと思って。その納得できる作品がまだ撮れてないな、とか。

僕の中で"いい写真"というのは、365日見ていても飽きないもの、という考え方があるので、今回は期間が短いけれど、撮ったらなるべく早く壁に貼って、日々眺めた。3日眺める分には良かったけれど1週間見たら飽きてくるものもあるから、少しでも早めに貼って、なるべく長いこと見ても飽きないかどうかを判断しました。1日1000枚撮っても展示できるなと思える作品は1枚しかないとか、3日経っても6点しかないとか、そういう焦りはありました。

「樹里ちゃんの脚が綺麗だなといつも思っているので」。京都展示のリーフレットにもなった1枚。

東京と京都の展示、それぞれ何を考えて作品をセレクトしましたか?

東京14点、京都15点、すべて違う作品を展示していますが、それぞれ会場の特性があるので、それに合わせて考えました。全体のバランスももちろんですが、ここは3枚並べての展示になる、ここは6枚…などがあるので、そこで成立しているかどうか、というのが大きいです。あとは、この写真を強調したいから、左右にこういう写真を置こうとか、僕の心の迷いを表した3枚組で飾ろう、とか。東京の会場は、ステートメントが貼ってある場所からぐるりと一周して見る人が多いだろう、という想定で並びを組んでいます。

展示をどのように見てほしいですか?

展示の並びやバランスを考えて飾っているとはいえ、実は僕としては、まずはそういうことは何も考えずに、シンプルに写真だけを見てほしい、という気持ちが強いです。
今回はライカQ3で撮った写真の展示、というのが見る皆さんの中にまずあって、さらにステートメントもありますよ、という状況。6000万画素だし、解像度がどうかとか色深度はどれくらい出せているのかとか、質感はどうか、とかも考えがちだけれど、そういうのも一切抜きにして、ステートメントも読まずでいいので、まずは純粋に写真を見て楽しんでほしいなという想いがあります。まずは1回そうやって見てもらって、そのあとステートメントを読んでいただいてもう一度見てみるとか、やっぱりすごく細かいところまで描写が綺麗だな、とかそういうのを見たり考えたりしながら再度見る、というのがいいなと。とにかく一発目はシンプルに何も考えずに写真だけ見てほしいです。

プライベートの写真は一切封印したけれど、撮りたかった「笑顔」。

最後に、今回の展示作品の中で、一番好きな写真を教えてください。

考えてみたら、僕も最終的に出てきた答えが意外でした。これかなと。

京都に展示している作品。知り合いの子どもたちが両側から参加。

ステートメントに合わせた作品を出すために、プライベートの写真は一切封印しようと決めていました。そうなると笑顔の写真って難しいんです。笑顔ってプライベート感だったり日常感みたいなのが出やすくて、アンニュイとかクールとかのほうが非日常性を出しやすい。でも僕としては樹里ちゃんのいろいろな表情を見てほしいなと思っていたので、なんとかして入れられないかなと考えたときに、子どもたちに顔を触ってもらって口角をあげる、という見せ方だったら笑っているような表情に見せつつも、プライベート感は感じられないフォトジェニック的な見せ方ができるのでは?と思いました。今回の展示の中で笑顔に近い表情はこれしかない。あと僕の好きな"違和感"も感じる作品です。これって樹里ちゃんの手じゃないよね?とか、子どもの手だけれど一人じゃないよね?とか。この写真が一番好きだなと思いました。

コハラさん、ありがとうございました。ライカギャラリーの展示は、東京、京都ともに開催中で、8月27日(日)までです。ぜひ皆さま足を運んでください。

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