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すべてを、確実に。 木寺紀雄/フォトグラファー

第一線で活躍するプロたちに聞く、今までの道のりや仕事に対する想い。クライアントワークとは?撮ることを仕事にするとは?それぞれの向き合い方や姿勢を通して、そんな疑問への答えを探します。
「プロとして活躍するフォトグラファーたちの軌跡」。今回は、フォトグラファーの木寺紀雄さんです。

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目次

プロとして活躍するフォトグラファーたちの軌跡

<BIOGRAPHY>
1996年 役所を退職。カメラを持って日本を旅し、写真の面白さに触れる
1997年 スタジオ勤務開始
1999年 ホンマタカシ氏に師事。アシスタントの仕事を通して依頼が来るように
2001年 独立。雑誌の撮影を中心に活動。CF撮影の依頼も来るように
2024年(現在) 雑誌と広告を中心に活動

『BRUTUS』2023年8月1日号 No.989(マガジンハウス)

「仕事の撮影というのは、例えば『1万円でその写真を掲載させてください』というものではなくて、『1万円でこれだけ撮ってください』というもの。限られた時間の中で、ときに膨大となる撮影カットを、すべて押さえにいく。ロケーションや天候など条件が悪いこともあれば、本当に時間が限られているときもある。それでも『撮れませんでした』ということは許されない。カメラはアナログからデジタルへと変わっていったけれど、光学な部分ではずっと変わっていない。それを使いこなす技術は、絶対的に必要だとは思いますね。自分はそれを、スタジオ勤めでしっかり学べたのはよかったと思っています。失敗しないということが信頼となって、次の仕事へとつながっていきますから」。

限られた時間のなかで、求められたものをしっかり撮り切る。その繰り返しで仕事が続いてきた

『Hanako』2023年3月号 No.1217(マガジンハウス)

「自分はもともと、雑誌の撮影からスタートしました。雑誌を撮っているカメラマンで広告の仕事が入るようになると、ギャランティの部分がぜんぜん違うし、雑誌から離れてしまう傾向がある気がします。でも自分は、やっぱり雑誌が好きなんですよね。雑誌でのチームは、編集者がいて、ライターがいて、モデル撮影の場合はそこにスタイリストやヘアメイクが加わるくらい。広告に比べるとずっとミニマムな分、アットホームな雰囲気があります。現場で、『楽しいね』って言い合いながら、終えてからも『楽しかったね』って、自分たちが体験した楽しい気持ちをそのまま伝える仕事なのかなって思うんです。それって、すごく贅沢な仕事で、いつも感動した気持ちになります。もちろん、そういう楽しい広告仕事もありますけれど」。

期待に応えたいという気持ちは常にある。仕事はひとりよがりで進めるものではないから

『MITSUBISHI CHEMICAL CLEANSUI CORPORATION』

「一人の作家性を生かしてくれる仕事もありますが、それでも仕事の撮影というのは、一人じゃできない。とくに広告の仕事というのは、かかわる人数がすごく多い。そういう現場に身を置く度に、いろいろな人の助けがあって出来上がっていくのだと実感します。ひとりよがりになってはいけないし、『これが自分の作品です』と写真家かのような主張をすることもしません。そうした姿勢を前提にやってきたからこそ、自分の写真への評価も含めた依頼や指名をいただけるようになったのではないかな。人数が多くなるほどプレッシャーも感じるけれど、そこをつらいと感じるか楽しむかで、全然違ってくる。責任感とか、相手の期待に応えたいという想いはずっと持ち続けています」。

「フォトグラファーになる前は役所勤めを約4年間していました。それを先のことはまったく計画しないまま辞めたのは、『随分小さな世界だけにとどまっているな』と感じたから。当時、日本海を見たこともなければ、北海道に行ったこともなかった。それで、退職してすぐに、カメラを持って旅に出ました。旅先で撮っていたのは、ここに来たっていう記録のための、自撮りばっかり(笑)。そこからの流れで、利尻島にある民宿で住み込みのアルバイトを始めました。民宿の隣には駄菓子屋があって、なんとなくフォトジェニックな、分厚いレンズの眼鏡をかけた男の子を見かけることがあった。ある日、道端でその少年に偶然会うと、空に大きな虹がかかったんです。思わずカメラを向けて、シャッターを切った。友達でも親戚でもない、知らない人にカメラを向けたのはこのときが初めてで、すごく面白いなと思ったのが、この道に進むきっかけだったように思います。旅から戻ると、少しのスパンを開けてスタジオ勤務を開始。物撮りの巨匠とも言われる海外フォトグラファーが勤め先のスタジオをよく利用していたのですが、ふわっとやさしい光だったり、ピリッと切れ味のいい光だったり、その技術にすごく感銘を受けた。それから、同じスタジオを利用していたホンマタカシさんに声をかけていただいて、師事することになりました」。

「信頼される仕事」の積み重ねが仕事につながっていく

「雑誌の仕事へとつながっていったのは、アシスタント時代に任された、ある意味“誰でも撮れる写真”を、全力で、漏らさず、全てを確実に押さえていったことが礎としてあると思っています。編集者の目にとまって、『君、撮れるね』って声をかけてもらって、小さな仕事が入るようになっていく。依頼が来たら、どんな小さな仕事でも確実に撮っていく。当時はまだフィルムの時代だったけれど、スタジオで習得した技術を駆使して、撮り続けていきました。仕事の依頼は本当に人とのつながりで、信頼を得ることが大事。少しずつ、雑誌の中でもメイン企画となるようなページの撮影も依頼されるようになっていき、その頃から、それまで自分の色というのを意識したことはあまりないけれど、雑誌に載ったクレジットを見て声をかけてもらうことも増えていきました。仕事というのは、よく撮れたものだけ使うというのとは違う。たとえ、これをいったいどう撮れと…?と思うようなことがあっても、必ず撮っていく。失敗は許されない、すごく怖い仕事だなって思うけれど、楽しくもあるし、依頼をいただいたのだから、その期待に応えたいという想いを持って続けています」。

雑誌の写真は文字を読ませるものでなきゃいけない。読者の『何だろう?』を喚起する、出オチじゃない写真

『&Premium』2024年2月号 No.122(マガジンハウス)

「雑誌の写真は、文章を読んでもらうためのフックのような役割をしている。読者の方の目にとまって、『何だろう?』と思うことで文章を読みたくなるような写真。だから、きれいにバチッと撮影することがすべてではなくて、“出オチ”じゃないことが大事だと、意識して撮影するようにしています。大切なのはその視点だけ。言い換えると、自分は機材にこだわらない。むしろいつも同じカメラで、軸となる写真のトーンを自分に持たせておく。それから、案件ごとに必要だったり求められていたりすることを想像しながら、どう崩していくか、視点や技術を使って表現していくようにしています」。

木寺紀雄 プロフィール

木寺紀雄

1974年生まれ、神奈川県出身。役所勤務後、スタジオ勤務を経てホンマタカシ氏に師事。2001年に独立。2006年、JR東日本交通広告グランプリ、グランプリ受賞。写真集に『柚木沙弥郎との時間』や『Österlen Lisa & Gunnar Larson』などがある。雑誌や広告、コマーシャルなどで活動中。現在、アシスタント募集中。希望者はトイマネジメント(mountainstoishi@gmail.com)まで

GENIC vol.70【プロとして活躍するフォトグラファーたちの軌跡】
Edit:Chikako Kawamoto

GENIC vol.70

2024年4月号の特集は「撮るという仕事」。
写真を愛するすべての人に知ってほしい、撮るという仕事の真実。写真で生きることを選んだプロフェッショナルたちは、どんな道を歩き今に辿りついたのか?どんな喜びやプレッシャーがあるのか?写真の見方が必ず変わる特集です。

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