夜行列車のもつ格別な旅情について/ぽんずのみちくさ Vol.36

ぽんず(片渕ゆり)<連載コラム>毎週火曜日更新
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夜行列車のもつ格別な旅情について/ぽんずのみちくさ Vol.36

夜、眠る時間を過ごすだけなのに、「夜行列車」という存在は、どうしてこうも旅情をかき立てるのだろう。

夜行列車に憧れを抱くようになったのは、小学生のころに出会ったミュージカル「CATS」がきっかけだった。夜行列車を愛する猫「スキンブルシャンクス」のナンバーを聴きながら、憧れの旅を頭の中で思い描いた。ひとり分のコンパクトなベッドと、ぴんと張ったシーツ。暗闇に浮かぶ街の灯りと、だんだん朝が近づいてきて明るくなっていく空。夜行列車なんて乗る機会もなくて、本物は見たこともなかったけれど、想像するだけで楽しい気持ちになった。当時、日本で寝台のある列車といえばブルートレインが有名だったけれど、乗ることができないまま、ブルートレインは日本から消えてしまった。

そんな私が初めて夜行列車に乗る機会を得たのは、会社員時代に行ったインドの旅においてだった。甘い憧れを膨らませていた夜行列車のイメージとは似て非なるものだったけれど、それはそれで悪くなかった。

人々は駅に密集し、列車は定刻通りに来ない。観光ではなく生活の足として使われている列車の中にはぎゅうぎゅうに人が乗り込み、生活の匂いがむわっと立ちのぼる。用意された枕が清潔なものかどうか、いささか不安だったので、着替えをつめた袋を枕がわりにして眠りについた。夜中、トイレに立つと、爆音を轟かせながら近くに落ちた雷の音が、薄いガラスを突き抜けてビリビリ伝わってきた。

ウズベキスタンでも夜行列車に乗った。インドと同じくこの列車も生活の足なので、観光客は少なく、英語は通じない。私が使うはずだった毛布は、二段ベッドの下の段に眠っている知らないおばあちゃんが勝手に使っていた。身振り手振りで「それ、私の」と伝えてみる。眠そうなおばあちゃんは、ぐいっと手だけ突き出して、毛布をこちらに寄越す。夜食用に、乗客全員にちいさなパンが配られる。まだあたたかいパンを潰さないようそっと受け取り、小さな寝台の中でもそもそと食べる。巣箱の中でひまわりの種を食べるハムスターになったような気がした。

タイのバンコクからアユタヤへ向かう列車はとても快適で、空調が効きすぎていることを除けば誰彼かまわずおすすめしたいくらい気に入った。

そしてついに、日本国内でも夜行列車に乗ることができた。サンライズ瀬戸という、東京と瀬戸内を結ぶ列車。ブルートレインが消滅した今、定期的に走っている夜行列車としては唯一の存在だ。

コンパクトながらも独立した個室があって、大きな窓もついている。パリッと糊のきいた寝巻きと、明るいルームライト、まっしろで清潔そのものという顔をしたシーツ。寝台に寝転ぶと、そのまま街の灯りや夜空が見える。かつて乗った異国の夜行列車もそれぞれ違う楽しさがあったけれど、これぞ、憧れていた理想の夜行列車だ。見慣れた東京の夜景も、山手線の窓から眺めるときとずいぶん違って見える。

新幹線が発達し、LCCも身近な存在になった。未来に向かって進めば進むほど、世界から夜行列車は消えていくのだろう。それでも、列車のリズムでゴトゴト揺られる夜の眠りと、列車から降りた瞬間に吸い込む早朝の空気は、何ものにも代えがたいのだ。

ぽんず(片渕ゆり)

1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。

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