Focal Length
今回のテーマは「表現と距離を置く時間」。
表現で生きる者が、表現から距離を置くことは、とてつもなく怖い。
役者・フォトグラファーとして生きる一人の表現者として、表現を追求しない時間が長くなると、自分の感覚が衰えてしまうのではないかと思う瞬間がある。
だからこそ、常に仕事をしていたいと思うし、休むことを求めないこともある。
ただ、そうしてずっと走り続けることで、ふとこんな瞬間が生まれる。
それは、何をしても感じなくなってしまうこと。
嬉しいことを、嬉しいと感じられなかったり。
自分が追い求めていたものが、急に魅力的に感じられなくなったり。
今までなら「素敵だ」と思えたものを見ても、何も心が動かない。
それは、表現をする人間にとって、少し怖いことなのだと思う。
写真を撮ることも、演じることも、何かを作ることも、本来は、自分の中にある「感じる」という部分から始まっている。
だから、感じられなくなっているのに、無理やり何かを作ろうとしても、きっとどこかで嘘が出てしまう。
それでも、仕事だから。
止まってしまったら置いていかれる気がするから。
誰かが前に進んでいるように見えるから。
そんな理由で自分を走らせ続けてしまう。
でも、もしかすると必要なのは「もっと頑張ること」ではなく、一度立ち止まることなのかもしれない。
何も考えずに景色を見る。
旅をしても、作品にしようとしない。
何も生み出さない時間を、あえて作る。
そうすると、少しずつ自分の中に余白が生まれてくる。
そして、その余白ができたときに初めて、今まで見えていなかったものが見えてくることがある。
同じ景色なのに、前とは違って見える。
同じ人なのに、前とは違う表情に気づく。
「あ、今の好きだな」と思える瞬間が戻ってくる。
きっと表現にとって必要なのは、常にインプットし続けることだけではない。
人は、空っぽになることを怖がるけれど、空っぽにならないと新しいものが入ってこない。
だから最近は、表現から距離を置くことを「休む」と考えないようにしている。
むしろ、自分の感覚を取り戻すための時間。
自分が何に心を動かされる人間なのかを、もう一度確認する時間。
そして、自分がなぜ表現をしているのかを思い出す時間。
表現を続けるために、表現をしない。
一見すると矛盾しているようだけれど、今の自分には、その感覚が必要なのかもしれない。
走り続けることだけが、前に進むことではない。
立ち止まったからこそ、見える景色もある。
そして、少し遠くから自分自身を見つめ直したときに、また撮りたいと思えるもの、演じたいと思えるもの、伝えたいと思えるものが見つかるのだと思う。
だからこれからは、表現と少し距離を置く時間も、大切にしていきたい。
何かを生み出すためではなく、
ただ、自分が何かを感じられる人間であり続けるために。
そう思って、何も考えずに旅をする。
なのにいつの間にか手にはNikon Z8とZf。
やっぱり完全に切り離すのは無理みたいだ。
プロフィール
古屋呂敏
俳優・フォトグラファー 1990年、京都生まれ滋賀/ハワイ育ち。2016年より独学でカメラを始める。Nikon Zf、Z8を愛用。父はハワイ島出身の日系アメリカ人、母は日本人。MBS/TBS「恋をするなら二度目が上等」(2024年)などに出演。俳優のみならず、フォトグラファー、映像クリエイターROBIN FURUYAとしても活動。2022年には初の写真展「reflection(リフレクション)」、2023年9月には第2回写真展「LoveWind」、2025年6月、ニコンプラザ東京 THE GALLERY、2025年7月、ニコンプラザ大阪 THE GALLERYにて、写真展「MY FOCAL LENGTH」を開催。写真集に『MY FOCAL LENGTH』(ミツバチワークス)がある。
