なぜ私は食生活を犠牲にしてしまうのか、真面目に考えてみた/ぽんずのみちくさ Vol.44
先日Twitterのタイムラインに「食生活が破滅的なお姉さんと、自炊上手な男子大学生の話」なるものが流れてきて、笑い話だと思って開いたところ、すこしのあいだ固まってしまった。というのも、「破滅的」と称され、いろんな人からガチの心配を受けている「お姉さん」の食生活が、最近の私のそれとそんなに変わらなかったからだ(元ネタが気になる方は、「破滅的お姉さん 自炊」で検索してみてほしい。すぐに出てくると思う)。
「虚無」「綾波レイの食事の方がまだマシ」「栄養って知っていますか」などの厳しいコメントが寄せられたお姉さんの食事は、こちら。
朝:コーヒーとサプリ
昼:コンビニ飯
夜:レトルトの米にツナとマヨネーズをかけたもの
その日の私の食事は、こちら。
朝:コーヒー
昼:カップ麺
夜:魚肉ソーセージ(2本)
サプリがある分、くだんのお姉さんのほうがまだ健康的なのでは?という気がしてくる。
言い訳がましいけど、意図してこうなったわけではなくて、目の前の仕事に専念していたらいつの間にか食事の時間をすぎていて、なんだかお腹も空かなくて、気づいたらこんな食生活になっていた……というのが正しい。東京の家では規則正しくご飯を食べる同居人がいるので忘れかけていたけど、私は一人でいるとついうっかり「食べる」という行為を忘れてしまう生き物だった。
「限界お姉さん」に対する人々のアドバイスを読みながら、我が身を顧みてひっそり反省した。こういう食生活を続けることは、どうやら本当に良くないらしい。
自分自身の食生活について、振り返ってみた。食事に「虚無っぽさ」が現れ始めたのは、いつのことだっただろう……?
思い出すのにそんなに時間はかからなかった。覚えがある。私の虚無ご飯がスタートしたのは、大学生のヨーロッパ旅行のときだ。
ヨーロッパというところは、概して物価が高い。場所によっては東京よりも高い。貯めたお金の多くは航空券の時点で吹っ飛んでしまう。宿代&マストで行きたい観光地の入場料を引いたら、もうお財布はすっからかんだ。じゃあどうするか?そう、食費を削るしかない。
切り詰めたい日には、宿の朝食で出てきたヌテラを食べずにとっておいてお昼ご飯代わりになめたり、スーパーで買ったぺらぺらの食パンを少しずつ食べたりしていた。運良く似たようなお財布事情の大学生に出会えたときには、お金を出し合ってパスタを買うこともあった。イタリアの宿で仲良くなった女の子と一緒にパスタを茹でて目玉焼きを載せたときには「ご馳走だ!」とハイタッチした。もう一度言う。目玉焼きを前に気持ちが高揚してハイタッチをした。
ときにはレストランで食事をしたり、屋台のクレープを食べたり、ということもあったけど、それは、奮発するぞと腹をくくったときだけに行われる一大イベントだった。
まあ、当時お金に限りがあったことは事実で、その経験自体が悪いものだったとは思っていない。やりたいことがあったから食を犠牲にしていただけで、他人から「かわいそう」と言われるのは心外だし、かといって若い人に真似してほしくはないので、武勇伝にするつもりもない。
今、問題なのは、旅の記憶が良くない意味でも現在の私に作用しているということだ。「何かに熱中しているときは(または極限まで疲れているときは)このぐらいまで食を犠牲にしてもOK」という基準が、当時のまま、十年近く更新されていない。
さらに言うと、「何かを頑張ろうとすること」と「食事を疎かにすること」を、無意識のうちにセットで実行しようとしてしまうというバグも発生している。その2つは、決してイコールではないはずなのに。
もう一歩踏み込んで考えてみると、私はどうやら「食事を疎かにすること」によって、「私は今、頑張っている」と自分自身に言い聞かせていることに気づいた。ゆるやかに自分をいじめることで、「頑張っている」という実感を得ようとしている。ここまで考えたところで、「ダ・ヴィンチ・コード」に出てくる登場人物が拷問器具で自分を痛めつけて信仰を実感した描写を思い出して、ひぇっと背筋が寒くなった。
こういう人(私ですが)に、いくら「食生活は大切ですよ」と言い聞かせてもあまり意味はない。だって頭では理解しているから。むしろ、わかっているからこそ、「大切なことを犠牲にしてまで私は頑張っている!」と思いたいんだろう。そもそも、自分自身を大切にすることにどこか抵抗があるのかもしれない。この場合、「自分を大事に」というご自愛文脈では効果が薄い。
じゃあどうしたら、そういう人(私)はご飯をちゃんと食べるようになるだろう?
カップ麺を見つめながら考えた結果、「食事もミッションと捉えてみたら上手くいくのでは」という結論に至った。
「ご自愛」と捉えると、「いやいや私にはまだやるべきことがあるのに、美味しいご飯を食べるなど甘えている場合ではない」と思い込んでしまう。ならば、「これも仕事のひとつ」と捉えてみる。我ながら面倒くさい思考回路だなとは思うけど、結果として食べるようになるなら良いだろう。
あらゆる人間関係の中で、自分自身との付き合いが一番めんどくさい。けど、やめるわけにもいかない。試行錯誤しながら、頑張ってみます。
ぽんず(片渕ゆり)
1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。