こだわりを手放すことで見えてくることもある/市川渚の“偏愛道” Vol.12
これまで、自分がいかにこだわってものを選んでいるのかということについて、ひたすら書いてきた。絶対にこうじゃないとイヤだ、という譲れないポイントがありつつも、一方で“チカラの抜きどころ”も大切にして生きているつもりだ。変なところで意固地になりすぎずに、こだわる必要のない部分に関しては、パッと手放す。それも自分が心地よくいるための、一手段なのだと思う。
SNSが日常に溶け込んできたころ、「セルフブランディング」なんて言葉がよく聞かれるようになった。簡単に言えば、他者から見た自分の印象を意図的に作っていくことだと思うのだけれど、いつからだろうか私は「自分をこう見てほしい」というような、自分自身に対するこだわりを持たなくなった。
何故なら、自分をどう見るか、ということは、自分が決めるのではなく、自分の行動を見てくれる人が決めると思っているからだ。
10代、20代のころは私にも「こんなふうに見られたい!」「こうなりたい!」という強烈な欲求があった。仕事をクールにバリバリこなして、異性に媚びず、頼らず、自立した女性になりたい。モードブランドの黒い服をサラリと着こなして、高いヒールの靴をカツカツと鳴らしながら颯爽と歩き、声のトーンはこんな感じで、恵比寿の広い1LDKの家に一人暮らしをして、打ちっぱなしコンクリートの部屋のインテリアはシャビーシックな感じで……と頭に描いていたのは、かなり具体的な理想像。
その理想像に近づくためには、多少の犠牲もいとわなかった。例えば「アウトドアと日焼けはNG」といったように、自分の頭の中でやらないこと/避けるものリストを作り、それに忠実に行動する、など。今振り返れば、「気合、入ってたなあ」と笑っちゃう感じもあるけれど、当時の自分は大真面目だった。子どもの頃から小柄で童顔なルックスから、小動物的な扱いをされることが多かったこともあり「カッコいい」と言われたかったのだと思う。そんな理想の自分と現実の自分の狭間で疲弊してしまうこともよくあった。
とはいえ、理想を追い求める過程で出会ったさまざまなものが、今の自分の価値観を作っている1要素でもあるわけで、この行動は無駄ではなかったと思っている。
そもそも、人生で無駄なことなんて、ひとつもないと思うけれど。
そんな理想を追い求めていた当時の自分は某ブランドの中の人として、ブランドイメージを作る/守ることを仕事にしていた。メディア関連の方たちから「どんな切り口の企画なのか?」「同じページに並ぶブランドはどこなのか?」といったことをヒアリングして掲載や取材の可否を判断したり、「こういった切り口で取り上げてもらえないか」と交渉をしたり。当時はまだSNSがそこまで普及していなかったこともあり、ブランド側が意図しないメディア露出は避けられる時代だった。つまり、ブランドを作る行為に関してはブランド側が主導権を握って、コントロールしていたのだ。
けれど、それをSNSがガラリと変えた。皆が実際に触れて感じた“リアル”を、皆が自由に、しかもパブリックに発言できるようになった。そのリアルな言葉やヴィジュアルから受けた印象や感情が、人々の間で見えないブランドを作っていく。表層的な見え方をブランド側がコントロールすることだけで、ブランドを作ったり、守ったりできる時代ではなくなった。そんなタイミングで、私はブランドの中の人としての仕事を離れた。
一個人に対しても、どうだろう。“セルフブランディング“は今でも有効だろうか? 多少の無理や背伸びをして「なりたい自分」に近づくために努力をすることは否定しないし、人としての成長の過程で大切なことでもあると思う。前出の通り、私もそうだった。だけれど、自分の表面的な部分だけをいくら見繕ったとしても、それは本質的ではない。見られているのは、自分の見た目だけではなく、自分の行動だからだ。
自分の見せ方に対するこだわりを自然に手放すことができてから、何だか楽しめることが増えたなと思う。黒い服にこだわらなくなったから、服を選んで、着ることがさらに楽しくなったし、日焼けも怖くなくなったので、旅先の選択肢も増えた。住む場所も恵比寿じゃなくていい。多少マニアックな趣味も遠慮なく表に出していく。そのひとつひとつが自分自身を作りあげているんだから。
今は、ひとつだけ、自分に課していることがある、決して嘘をつかないこと。それだけ守れれば、あとは何でもいい。
市川渚
1984年生まれ。N&Co.代表、THE GUILD所属。
ファッションとテクノロジーに精通したクリエイティブ・コンサルタントとして国内外のブランド、プロジェクトに関わっている。自身でのクリエイティブ制作や情報発信にも力を入れており、コラムニスト、フォトグラファーやモデルとしての一面も合わせ持つ。