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雪山を滑る/龍崎翔子のクリップボード Vol.57

龍崎翔子<連載コラム>第2木曜日更新
HOTEL SHE, 、香林居、HOTEL CAFUNEなど
複数のホテルを運営する
ホテルプロデューサー龍崎翔子が
ホテルの構想へ着地するまでを公開!

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雪山を滑る/龍崎翔子のクリップボード Vol.57

物心ついた頃から運動音痴だったので、スポーツは全般嫌いだった。大人になった今でさえ、ジョギングもジムも水泳もできれば避けて社会生活を営みたい。アウトドアなどもってのほかで、可能な限り安全にぬくぬくと過ごしたいと思っていた。
そんな私が初めて宿を営んだのは、皮肉にも北海道の富良野の、ゲレンデの目の前のペンションだった。そこは毎年冬になると、オーストラリアやニュージーランドから貴重なバカンスをわざわざ地球の裏側の日本で過ごそうとする人々が大挙して押し寄せてくる街だった。彼らはバカンスが始まるやいなや髭を剃ることをやめ(どうやら髭を剃ることは彼らにとって社会生活への服従といったニュアンスを帯びているようだった)、2週間も3週間も日本で滞在するうちにサンタクロースのような見事な髭を蓄えながら、毎日のように雪山へ消えて行った。
君が羨ましいよ、と彼らは言った。こんなゲレンデの近くに住んでいるなんて、毎日この素晴らしい雪を滑れるじゃないか、と。私は毎日仕事があるから滑れないんです、と少し困りながら答えると、彼らは、なんて勿体無いことを、と大げさに嘆いてみせた。

初めてスノボをしたのは宿を始める前の18歳の時で、格安のバスツアーで行ったものだから、睡眠不足とエコノミークラス症候群で身体は鉛のようになり、若者でごった返したゲレンデは度重なる滑走で踏み固められてさながらアスファルトのようになっていた。そんな中でボードの立ち方から乗り方を同行者たちに手取り足取り教えてもらい、何度も転倒して泣きそうになりながら、身体を痣だらけにしてようやく滑れるようになったような苦じょっぱい思い出が記憶の奥底に沈んでいる。そんなわけで、ウィンタースポーツには、友人たちと旅に出る楽しさは感じつつも、滑ること自体の楽しさより痛さや寒さの方が心に残っていたのだった。
ある時、富良野に遊びに来てくれた友人に連れ出されて、ついに私も雪山を滑ることとなった。世界一のパウダーだと幾度となく熱弁するゲストから聞いていた通り、ゲレンデの雪は膝まで埋もれるほどに降り積り、さながら片栗粉を掻き分けて滑っているかのようだった。ゲレンデにはまばらにしか人が見えず、私はあたかも筋斗雲に乗った悟空になったかのように雪に覆われた山の頂上から疾走した。滑り切ったゲレンデの下で、上の方からコロコロ転がりながら落ちてくる友人の黄色いウェアをぼんやり眺めながら、よくよく考えると、生身の身体で、なんらかの動力に依らずに時速30〜40kmを出すこと自体なかなかないことのように思えた。自転車で永遠に坂を降り続けているかのように、身体ひとつで風を切り続ける。それはまるで、猛禽類になって低空飛行しているかのような、未知のモビリティ体験だった。

日毎に、もはや刻一刻と、天気が移ろい、雪面の状態が変化する中で、雪の質感を感じながら身体が冷たい空気に溶けて、雪山を吹き抜ける風の一部になってしまうような感覚。富良野の突き刺す冷気にサラサラの雪も、白馬のもったりした雪も、福井の大粒の雪も、アルゼンチンのパサパサの雪も、その土地、その瞬間の空気を、圧倒的な身体性の中で受容することができる、そんな楽しみ方もなかなかないのだろう。
雪は、日本が世界で戦える数少ない観光資源のひとつだと思う。刹那的で、気まぐれで、それでいて土地の空気を身体中に纏い、一体になることができる。そんな魅力的な旅の在り方、なかなかないでしょう?

龍崎翔子

龍崎翔子/SUISEI, inc.(旧:株L&G GLOBAL BUSINESS, Inc.)代表、CHILLNN, Inc.代表、ホテルプロデューサー
1996年生まれ。2015年にL&G GLOBAL BUSINESS, Inc.を設立後、2016年に「HOTEL SHE, KYOTO」、2017年に「HOTEL SHE, OSAKA」を開業。
2020年にはホテル予約システムのための新会社CHILLNN, Inc.、観光事業者や自治体のためのコンサルティングファーム「水星」を本格始動。
また、2020年9月に一般社団法人Intellectual Inovationsと共同で、次世代観光人材育成のためのtourism academy "SOMEWHERE"を設立し、オンライン講義を開始。2021年に「香林居」、2022年に「HOTEL CAFUNE」開業。

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