写真が下手で落ち込むときは/ぽんずのみちくさ Vol.82
旅先で写真を撮るのが好きな人には、家に帰ってから、それか、もっと時間が経ってアルバムを見返したときなんかに、きっとこんな経験があるのではなかろうか。
「なんであの景色の写真を撮ってなかったんだろう」
「この写真、暗すぎてわからない」
「当時はよく撮れたと思ってたけど、なんか微妙かも」
かくいう私も例に漏れず、時間が経ってから自分の撮った写真を見返すと「あれ?」となることがある。よくある。特にこの2年弱は、コロナのこともあり、新しい旅が出来ない分、仕事でもプライベートでも、過去の写真と何度も向き合わなければならなかった。
最初は粛々とレタッチを進めていても、次第に引っかかることが多くなってくる。
「なんだか似たような構図ばっかり続いてる」
「いい瞬間だったのにブレブレ」
「もっと違う色に仕上げたいのに、できない……」
わざと過小評価したいわけじゃないはずなのに、気づけば自然と自分の写真のアラがぼろぼろと見えてくる。前にも似たような気持ちになったことがあった。大学のあった京都から、就職して東京に移ってきたばかりのことだ。
週末にカメラを持ち出しても、似たような写真しか撮れない。いっそスマホのアプリで撮ったほうが、はじめから加工されてて今っぽいじゃないか。私が一眼レフを持ってたところで、これ以上うまくなんてなれない。カメラを触ることが、今までほど楽しくない──。そんなふうに思って、ほとんどカメラを持ち歩いていない時期があった。
その後、いろんな偶然やチャンスが重なって再び写真を撮るようになったのだけど、もしかしたら、そのまま写真を諦めていても不思議はなかったと思う。
社会人になりたての頃の「うまく撮れない現象」が第1波だとしたら、コロナ禍における「過去の写真のアラばかり気になる現象」は第2波だろう。さて、どう抜け出したものか。
現実逃避したくて漫画を読んでいたら、思わぬヒントに出会った。
「ある時自分がすごく下手だって思えてきて ああ 才能ないなって」
『ミステリと言う勿れ』という漫画の一節で、登場人物の女の子が絵画の道を諦めた理由について話すシーンだ。それに対して、主人公はこんなことを言う。
「自分が下手だってわかる時って 目が肥えてきた時なんですよ」
「本当に下手な時って 下手なのもわからない ゆがんだり 間違ったり はみ出てても気がつかない それに気づくのは上達してきたからなんです」
写真を始めたばかりの頃を思い出す。たしかに当時は、下手であることにすら気づかなかった。「なんで下手なんだ」と悩むこともなかったけれど、なかなか上手にもならなかった。
「下手だと思った時こそ 伸び時です」
主人公の言葉に背中を押され、女の子は再び絵筆を取るようになる。
下手だと思った時こそ伸び時。「うわ、下手だな」とこぼしながら、まだまだ健やかに伸びてゆける。
片渕ゆり(ぽんず)
1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。