写真に写ってしまうもの/ぽんずのみちくさ Vol.55
一枚の写真を構成するのは、デジタルデータか、または印画紙とインク、それだけだ。無味乾燥な言い方をすると、写真は「思い」や「気持ち」で構成されているわけではない。
なのに、不思議なことに写真には、そのときの気分が写り込んでしまう。ときに、ぎょっとするほどに。
大学の卒業旅行というと、学友たちと、社会に出る前の最後の思い出づくりというイメージが一般的らしい。しかし当時、私のまわりといえば、留学や院進学を理由に大学に残る人が多かった。ひとりで旅をするのは好きだし、なんの抵抗もなく、卒業旅行と称して、母に借りたくたびれた大きなトランクだけを相棒に、ひとりでニューヨークへ向かった。
卒業というと、晴れがましいニュアンスがある。卒業、おめでとう。新たなスタート、おめでとう。
だけど私は、そうは思えなかった。大学を卒業するまでが、ほんとの人生。卒業したら、偽物の自分としての人生が始まってしまう。半ば本気で、そう思っていた。
そのころ漠然と胸に抱いていたのは、「終わってしまう」という思いだった。自由に歩ける日々が、夕暮れを眺められる日々が、写真を撮ったり、映画を観たりできる日々が、終わってしまう。
肌が弱くても、ファンデーションをぬりましょう。パンツスーツは、気の強い生意気な女に見えるのでやめましょう。生き生きして見えるよう、チークも塗って。だけど濃すぎてはいけません。にこにこ素直な新入社員になりましょうーー。就活中にセミナーで教わった「社会人」の姿には、どうがんばっても憧れられなかった。
それでも、ニューヨークへ行けば、どこか切羽詰まったような感情も消える気がしていた。大好きなミュージカルを観て、ブルックリンのカフェ巡りをする。これから住む社員寮に飾れるような、おしゃれな雑貨も買って帰ろう。最高じゃないか。元気になれるに決まっている。
実際、憧れの街を歩くのは楽しかった。サリンジャーの小説にまつわる場所を歩いたり、ブルックリンっ子に人気だという地元マーケットをめぐったり。
だけど、当時撮った写真を見返すと、やっぱりなんだか暗いのだ。
閉店したカフェに、誰もいない季節外れの遊園地、iPadの墓場。どれも湿っぽい写真ばかり。ニューヨークという世界一活気のある都市にいるくせに、地球でひとり生き残っちゃった人のSF映画みたいなシチュエーションばかりだ。これでも撮ってる本人は大真面目だったのだと思うと、昔の自分には悪いが、ちょっと笑ってしまう。
ひとりぼっちで、世界の終わりみたいな顔をして歩いていたんだろう。気づいてないフリをしてたけど、ほんとは寂しかったんだろう。
卒業すれば、学生生活は終わる。だけど大人は、もっと楽しいよ。楽しくできるよ。過去の自分にもし伝えられるのならば、太鼓判を押してやりたい。
片渕ゆり(ぽんず)
1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。