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「『前衛』写真の精神:なんでもないものの変容 ー 瀧口修造・阿部展也・大辻清司・牛腸茂雄」展が渋谷区立松濤美術館にて開催

牛腸茂雄《 SELF AND OTHERS 18》1977年 ゼラチン・シルバー・プリント 新潟県立近代美術館蔵

美術評論家の瀧口修造、絵画と写真で活躍した阿部展也、写真家 大辻清司と牛腸茂雄、この4人を結びつける日本写真史における特異な系譜を紹介する展覧会が、東京 渋谷の松濤美術館にて2023年12月2日(土)~2024年2月4日(日)に開催(会期中、展示替えあり)。
本展覧会の最後の巡回です。この機会にぜひご覧ください。

  • 開催期間:2023.12.2 ~ 2024.2.4

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前衛の終わり。その一歩先へ!

牛腸茂雄《 SELF AND OTHERS 3》1977年 ゼラチン・シルバー・プリント 新潟県立近代美術館蔵

1930年代、海外のシュルレアリスムや抽象芸術の影響を受けて、日本各地に前衛写真が流行。東京では、瀧口修造や阿部展也を中心とする「前衛写真協会」が設立されました。技巧を凝らした新奇なイメージが珍重された前衛写真の風潮に満足しなかった瀧口は、「日常現実のふかい襞のかげに潜んでいる美」を見つめ、いたずらに技術を弄ぶべきではないと、熱狂に冷や水を浴びせかけます。しかし、太平洋戦争へと向かう時局において前衛写真が次第に弾圧の対象となっていくなか、この瀧口の指摘は一部をのぞいて十分に検討されることなく、運動は終局に向かいました。
戦後、個々人のなかに前衛写真の精神は継承され、特需景気、経済成長からその限界へとひた走る戦後の日本社会に反応し続けます。特に、写真家としての出発点において瀧口と阿部に強く影響を受けた大辻清司と、「桑沢デザイン研究所」における大辻の教え子だった牛腸茂雄の二人は、時代に翻弄され移り変わる「日常現実」を批判的に見つめなおし、数々の名作を生み出しました。その写真には、反抗と闘争の60年代が過ぎ去った70年代、変容を遂げつつあった「前衛」の血脈が隠されています。

4人の作家の思想や作品は、互いに影響を与え合い、前衛写真として想起される技巧的なイメージを超えた「前衛」の在り方を示します。戦前から戦後へと引き継がれた、「前衛」写真の精神、4人の精神があぶりだす「なんでもないもの」のとんでもなさを、じっくりと鑑賞することができる展示会です。

佐藤真監督によるドキュメンタリー映画「SELF AND OTHERS」の上映会、学芸員によるギャラリートークの実施も。申し込みなどの詳細は展覧会のサイトで確認できます。

「『前衛』写真の精神: なんでもないものの変容」詳細

第1章 1930–40年代 瀧口修造と阿部展也 前衛写真の台頭と衰退

イタリア紀行 1958年 ゼラチン・シルバー・プリント
撮影:瀧口修造
プリント:大辻清司、渋谷区立松濤美術館蔵

瀧口修造や阿部展也らが設立した「前衛写真協会」の特に大きかった功績は、当時、前衛写真に取り組む写真家のあいだでフォトグラムやソラリゼーションなどの撮影・印画技術に注目が集まる中、そうではないストレートな「記録」としての前衛写真がありうることを指摘した点にあります。写真は故意に加工を施さずとも、何かを映し出す、だからこそ、写真は芸術が縛られてきた自我の壁を乗り越えることができる、と瀧口は考えました。そして、表層的な平凡の奥に非凡を発見する眼と精神の働きをこそ、重視。
本章では、前衛写真協会の活動が子細に報告された雑誌「フォトタイムス」や、瀧口の思考を深化させていった阿部展也による写真、そして瀧口にインスピレーションを与えたウジェーヌ・アジェの写真を中心に、瀧口がこのような主張をなすに至った文脈や、彼らを取り巻いていた状況などが紹介されています。

第2章 1950–70年代 大辻清司 前衛写真の復活と転調

大辻清司《大辻清司実験室 なんでもない写真》1975年(1980年プリント) ゼラチン・シルバー・プリント 武蔵野美術大学 美術館・図書館蔵

旧制中学在学中に前述の「フォトタイムス」と出会い写真家を志した大辻清司は、戦後、美術文化協会の写真部に所属し、阿部展也が演出・構成した被写体を撮影するコラボレーション作品を制作します。大辻は実験工房やグラフィック集団などの領域横断的な芸術家グループにも参加しますが、これらのグループによるチャレンジを背後から支えていたのは瀧口でした。大辻は瀧口や阿部からの強い影響のもと、彼らの思想を継承する形で写真家の仕事を開始、60年代末になると、大辻の作品は次第に変化の兆しを見せていきます。
要因のひとつは、自身が教鞭をとる桑沢デザイン研究所に在学していた高梨豊や牛腸茂雄たち、若き写真学生の存在でした。大辻は彼らの作風を「コンポラ写真」と呼び、なんでもない様子を少し離れて撮影する写真に、当時の時代相からの影響を指摘します。そして彼もまた、「コンポラ写真」、あるいはその時代の空気に共鳴するかのように作風を転調させていきました。1975年、「アサヒカメラ」に一年間連載された「大辻清司実験室」は彼の代表作であり、コンポラ写真に対する大辻なりのアンサーとも考えられる重要なシリーズです。

第3章 1960–80年代 牛腸茂雄 前衛写真のゆくえ

牛腸茂雄《 幼年の「時間」2》制作年不詳 ゼラチン・シルバー・プリント 新潟市美術館蔵

牛腸茂雄《見慣れた街の中で 1》1978-80年 ラムダプリント 新潟市美術館蔵

牛腸茂雄は1965年に桑沢デザイン研究所に入学、その2年後、同校で教鞭をとっていた大辻清司からの勧めで写真専攻に進学。教師と生徒という関係にもかかわらず、大辻と牛腸は独立した二人の写真家として、相互に刺激を与え合いました。牛腸は、阿部や大辻のように、直接に瀧口からの薫陶を受けたわけではありません。しかし、彼の残した言葉からは瀧口の影響が伺われます。それは彼自身の勉学の成果であると同時に、師である大辻からの影響も色濃くあったのだと考えられます。1972年から構想が始まり、1977年に写真集として結実した代表作『SELF AND OTHERS』、その後に出版された『見慣れた街の中で』等、しだいに牛腸は精神分析の影響を強く受けるようになります。牛腸が写真と並行して取り組んだ、精神分析に用いられることもあるインクブロットは、瀧口が熱中したシュルレアリスムにおけるデカルコマニーと技法上は類似するものの、その表現は大きく異なっています。この二つのシリーズの比較からは、「前衛」という思想がいつのまにか変容したこと(しかしその根はわずかに残されていること)が見えてきます。

牛腸茂雄《扉を開けると 3》1972-77年 インク・紙 新潟市美術館蔵

写真展『「前衛」写真の精神:なんでもないものの変容 瀧口修造・阿部展也・大辻清司・牛腸茂雄』情報

開催日時

2023年12月2日(土)~2024年2月4日(日)10:00~18:00(入館は17:30まで)
※会期中、展示替えあり
前期:12月2日(土)~1月8日(月)
後期:1月10日(水)~2月4日(日)
休館日:月曜(1月8日は開館)、12月29日(金)~1月3日(水)、1月9日(火)

入場料

大人800円
大学生640円
高校生・60歳以上400円
小中学生100円※土・日、祝休日は小中学生無料
※毎週金曜日は渋谷区民無料
※障がい者及び付添の1名は無料
※入館料の支払いは現金のみ

会場

渋谷区立松濤美術館
〒150-0046 東京都渋谷区松濤2-14-14

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行き方・アクセス

<電車>
京王井の頭線「神泉駅」から徒歩で5分
JR・東京メトロ・東急東横線「渋谷駅」から徒歩で約15分

公式図解「『前衛』写真の精神:なんでもないものの変容」情報

タイトル:『前衛』写真の精神:なんでもないものの変容 瀧口修造・阿部展瀧也・大辻清司・牛腸茂雄
ブックデザイン:須山悠里
編集:千葉市美術館、富山県美術館、新潟市美術館、渋谷区立松濤美術館
翻訳:クリストファー・スティヴンズ
補正:山田真弓
サイズ:H255mm × W180mm ページ:240ページ 装丁:ソフトカバー
価格:2,970円(税込)
発売日:2023年5月
発行:赤々舎
ISBN:978-4-86541-169-0

アーティスト プロフィール

瀧口修造

1903年 富山県姉負郡寒江村大塚(現・富山市大塚)生まれ(~1979年)。慶應義塾大学英文科卒業。美術評論家、詩人、芸術家として活動した。戦前から日本における前衛芸術、シュルレアリスムの紹介と普及に大きく貢献するとともに、1930年代からさまざまな雑誌に写真に関する文章も発表し1938年には前衛写真協会を組織、理論的な面で大きく貢献した。戦後は新しい芸術家たちの活動面、精神面の支柱的な存在となるが、ジャーナリズムに疑問を感じ、やがて対個人的な交流へと移行していた。

阿部展也

1913年 新潟県中蒲原郡五泉町(現・五泉市)生まれ(~1971年)。本名は芳文。1948年以降は展也の名で活動した。1929年頃に画家を志し、1932年に第2回独立美術展に初出品。戦前はキュビスムやシュルレアリスムの影響を受けた絵画を発表。1936年頃、写真を撮り始める。1937年、瀧口修造とともに詩画集『妖精の距離』(春鳥会)を編集。1938年前衛写真協会結成に参加。1941-45年、陸軍写真班員として従軍。戦後は、絵画制作のかたわら、写真分野を含む評論活動を展開。1949-52年には、美術文化協会写真部で大辻清司ら後進の指導を担った。1953年以降は、インドや東欧を含む世界各地を訪れてルポルタージュ写真を撮影。1962年ローマ移住。以降も、欧米の美術動向を『藝術新潮』などに発信し続けた。

大辻清司

1923年 東京府南葛飾郡大島町(現・東京都江東区大島)生まれ(~2001年)。1940年、近所の書店に積まれた「フォトタイムス」と出会い、写真家を志す。1942年に東京写真専門学校入学、翌年に陸軍応召。1947年頃より、美術文化展に出品するようになる。1953年には若手芸術家の領域横断的なグループ実験工房と、デザイナーを中心としたグラフィック集団に参加。1958年から桑沢デザイン研究所で写真の授業を担当し、高梨豊や牛腸茂雄などの写真家を育てた。1968年には学生の間で流行している写真表現に鋭敏に反応し、「コンポラ写真」と呼ばれるこの傾向を言説で後押しした。

牛腸茂雄

1946年 新潟県南蒲原郡加茂町(現・加茂市)生まれ(~1983年)。1965年、桑沢デザイン研究所リビングデザイン科入学。67年に卒業後、同研究所で主任講師を務めていた写真家・大辻清司の強い勧め卒業後も、雑誌への写真掲載を続けながら、1971年、桑沢時代の友人・関口正夫と写真集『日々』を自費出版。活動領域は写真に留まらず、1975年にはインクブロットによる個展「闇の精」を開催。1977年、『SELF AND OTHERS』を自費出版。1978年には個展「SELF AND OTHERS もう一つの身振り」を開催し、第28回日本写真協会新人賞受賞。1980年、インクブロットによる画集『扉をあけると』を出版。1981年、『見慣れた街の中で』を自費出版。1983年、36歳の若さで死去した。1995年に、遺作となる写真集『幼年の「時間(とき)」』が刊行された。

  • 【写真展お問い合わせ先】
  • 渋谷区立松濤美術館
  • shoto-museum.jp
  • 【公式図録お問い合わせ先】
  • 赤々舎
  • www.akaaka.com
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