拝啓、移動時間さま/ぽんずのみちくさ Vol.48
移動時間が好きだ。電車、車、フェリー、飛行機。どれもいい。遠くへ行ければ行けるほどいい。
でもその「好き」は、「ディズニーランドが好き」とか「コーヒーが好き」のような、積極的な好きではない気がする。
移動しているときに感じるのは、「許されている」という気持ちだ。本を読んでもいい。スマホをいじってもいい。ぼんやり窓の外を眺めてもいい。
仕事の時間は仕事しなくちゃいけないし、誰かと会うときは目の前の相手を大事にしなくちゃいけない。その点、移動時間は、乗り物に乗った時点で目標が達成されている。目も手も耳も頭も、好き勝手なことをしていていい。乗った時点で第一目標が達成されているから、私は安心して、Twitterのリプライをしたり、読みかけの文庫本をちょっとだけ読みすすめたりできる。原稿のアイデアが浮かばなくて焦っているときも、デスクの前では頭が真っ白になるのに、窓の外を眺めていると突然ふっと案が浮かんだりする。
「自分には向かう場所がある」という安心感も、移動時間の居心地の良さに一役買っている。それが旅先でなくても、心躍る場所でなくても。
そんなことを思ったのは、2020年に「移動時間」がカレンダーからすっぽり消えてしまったからだ。コロナで外出自粛を経験する前は、通勤時間なんて無駄だと思っていた。でも蓋を開けてみると、大嫌いだったはずの朝と夕方の東西線に救われていたのだ。
日常の移動でさえそれだけ大事だったのだから、旅先の移動時間はなおさら特別だ。普段は好きな曲ばかりリピートしているけど、たまに、初めての場所へ向かう道中で、今まで一度も聴いたことのない曲を聴いてみることがある。目は景色に、耳は音と歌詞に集中する。そうすると、景色と曲が一緒に記憶できる。次にまたその曲を聴いたとき、景色の記憶が一緒に蘇る。
去年の春の始めごろ、モロッコの険しい山の間をバスで揺られながら、Spotifyのシャッフルで流れてきた、あいみょんの「ひかりもの」を聴いた。テレビでは数時間ごとにニュース速報が入り、「ロックダウン」や「空港閉鎖」など聞き慣れない言葉が飛び交う。
つい数日前まであった平和な日常が、手に取るように崩れていく。そんなときに聴いた「つまらない事ではもう 泣かないぞ」というフレーズは、不安でたまらない気持ちをすこし落ち着かせた。
今でも「ひかりもの」を聴くと、うねうねと続くモロッコの山の景色がうわっと蘇ってくる。「つまらない事ではもう 泣かないぞ」の言葉を聞くたび、そうだ、ここで終わるもんか、と小さく決意する。そう言いつつ、泣き虫なので、結局泣きはするんだけども。
今もまだ自由に移動ができる世界ではないけど、その分、移動時間をより好きになった。つまらない事で泣きながらでもいいから、少しずつ前へ進むのだ。
片渕ゆり(ぽんず)
1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。