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旅のリレー/ぽんずのみちくさ Vol.20

ぽんず(片渕ゆり)<連載コラム>毎週火曜日更新
ほんとに大切にしたい経験は
履歴書には書けないようなことばかり
旅をおやすみ中のぽんずが送るコラム

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旅のリレー/ぽんずのみちくさ Vol.20

ひとり旅の宿選びに際して私は、2種類の宿を避けるようにしている。「評価の低すぎる宿」そして「評価の高すぎる宿」だ。

私の泊まる宿は低価格帯で、あまりに評価の低い(そして安い)宿を選ぶと、異臭がしたりベッドの上に虫がわんさかいたりセキュリティがガバガバだったりと、なんていうか本当にマズいことが往々にしてある。しかしレビューが高すぎる宿というのも眉唾もので、口コミサイトでは★4つなのにSNS上では「もう二度といかない」などの声が溢れていたりするのだ。


しかしその日、私はモロッコで「レビューがやたらと高い宿」に泊まっていた。「過去最高のドミトリー」「オーナーが親切すぎる」「また絶対に来ます」……礼讃の声で埋まったレビュー欄は信用していなかったけど、ほかにあまり選択肢もなかったため、ここに泊まることにした。

チェックインし、宿の共有スペースでいくつか作業をはじめる(相部屋形式のドミトリーと呼ばれる宿には、ソファやテレビなどを置いた共有スペースがほぼ必ずある)。

航空会社とのやりとりでトラブルがあり、至急連絡を返さなきゃいけないというのに、先方からのメールは私がまったくしゃべれないスペイン語で送られてきた。ネットの自動翻訳にかけて大筋はわかったが、ひとり旅における航空券は命綱なので、誤訳があったらたいへんだ。宿のオーナーであるアリが現れたのは、私がしかめっつらでスマホと格闘しているときだった。

「貸してごらん」と言われスマホを手渡すと、すらすらとわかりやすい英語に翻訳してくれた。聞いたところ彼は、公用語のアラビア語のほかに、英語、スペイン語、フランス語を話せるらしい。口頭で翻訳してくれただけでなく、「念のためね」と言ってメールの文面をプリンタで印刷し、紙でも渡してくれた。これは世に言う、神対応というものではないか。

モロッコはチップ文化のある国。「今こそ」と思いチップを渡そうとするも、アリは頑なに受け取ってくれなかった。

「ぼくは若いころ、たくさん旅をしてきた。たくさん親切にしてもらった。それをきみにパスしてるだけだ。次にきみが誰かの役に立てるときに、その人にパスしてやってくれ、いいね?」

お礼を言って部屋に戻る。部屋も快適で、申し分なかった。よくある簡素な鉄パイプの二段ベッドではなく、部屋に作りつけの、しっかりしたベッドで寝心地がよい。窓の向こうから川がせせらぐ優しい音がする。あのレビューたちはサクラなんかじゃなかったのだなぁ、疑ってごめんねと心の中で謝りながら深い眠りにつく。

翌朝、屋上で朝ごはんを食べていると、アリが一眼レフを持って現れた。「うちの新しい宣材写真が必要なんだけど、お願いしてたカメラマンが来られなくなっちゃってね」と、四苦八苦しながら撮影している。

「私でよければ、写真なら撮れる」と、おずおずと申し出る。彼の顔がぱっとほころんだ。「親切は誰かにパスしてやってくれって言ったのに、ぼくに返してもらっちゃったね!」

さっそくその場で、撮影会が始まった。

私が泊まった部屋は相部屋だったけど、上の階は1つずつ内装の違う豪華なつくりになっていた。

世界を旅してきたアリは、自分のありったけの思いをこめてこの宿を作ったそうだ。チェーンの高級ホテルとは違う手づくりのおもてなしが、随所に詰まっている場所。

「やっぱりここも撮りたい」「おっけー!」
「こっちも追加していい?」「もちろん」

気づけば日も沈みかけている。

「最後に、あと一部屋だけ」と連れて行かれたのは、さっきも撮ったスイートルームだった。「ここはもう撮ったよ」と言おうとした瞬間、鍵を手渡された。

「今日はここがきみの部屋だ」

あまりにびっくりして、聞き間違いかと思ってしまうほどだった。私が勝手に横入りしただけだし、謝礼はいらないと伝えたのに。

最初から最後まで、旅する人間にとって楽園のような宿だった。

こんなふうに旅が出来ない日々が来るのなら、もっと早く、もっと長く、あの場所に滞在していればよかった。後悔したってなにも始まらないとわかっているけど、今でもたまに、意味もなくあの宿の予約画面を開いてしまう。

いつか絶対に、もう一度訪れたい。どうか元気でいてほしいと、願ってやまない。

ぽんず(片渕ゆり)

1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。

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