曇り空の下、列車の中で/ぽんずのみちくさ Vol.52
今の今まで忘れていた出来事を、なぜか突然思い出した。
その日、私はイギリスにいて、グラスゴーへ向かう列車に乗ろうとしていた。
駅員さんに切符を見せてどこのホームか尋ねると、にこやかに教えてくれた。ラッキー。プラットホームには、すでに列車は止まっている。
ほどなくして列車は動き出す。ひどく疲れていたし、天気はどんよりとしていて、せっかく窓際に座れたというのに、車窓を楽しむ気さえ起きなかった。
当時はちょうど、コロナウイルスの感染が日本国内で拡大し始めていたタイミングだった。
ニュースを追ったりSNSで検索してみたりしても、リアルな温度感はいまいちわからなくて、つかみどころのない心配だけが、宙に浮いていた。
ちなみにまだその頃のイギリスは対岸の火事という感じで、よかったらオリンピックはイギリスでやりませんかと言っていた。
旅に関しても、じわじわと雲行きが怪しくなってきていた。それまでは楽しい旅の報告ばかりが溢れていたSNS上では、時折、アジア人差別にまつわる話を見かけるようになっていた。不穏な投稿を目にするたび、他人事とは思えず胸がちくりとした。
小学校低学年と思しき男の子たちが数人、途中の駅で乗ってきた。通学に使っているのだろうか、それともレクレーションでもあったのか。にわかに車内は賑やかになる。
「エーイジア! (Asia!)」
「ヴァーイラス! (Virus!) 」
くすくす笑いとともに、歌うように飛び交う言葉たち。え、私のこと……?ちらちらとこちらを見ている気がしたけど、子ども相手とはいえ咄嗟のことで固まってしまって、しっかりとそちらを向く勇気が出なかった。
もしかすると、ニュースで聞いた言葉をたまたま口にしていただけかもしれない。
わらわらと子どもたちが降りていったあと、入れ替わるように向かいの席に座ったのは初老の男性だった(余談だけど、ヨーロッパの電車の多くは、日本国内の電車と違って、シートをくるっと回転できないことが多い。そのため、否応なく知らない人と向かい合わせになる)。
車内の人が入れ替わると同時に、車掌の切符拝見タイムが始まった。そこで判明したのは悲しい事実。あろうことか、一本早い列車に乗っていたらしい。私が持っていた切符は時刻まで指定のものだったので、罰金を払わなければならなかった。
「駅員さんがこの列車だって言ってたんですけど……」と訴えてみる、表情一つ変えずに「罰金を払え」の一点張り。
もちろん払います、もちろん払うけど、10分早い列車に乗っちゃっただけですし、そんな犯罪者を見るような目でこっちを見ないで……と惨めな気持ちになる。いつもであれば「やっちまったな〜!」くらいで受け止められることも、落ち込んでいるときだとえらく響く。
悔しいやら恥ずかしいやらで座席の上でしょぼしょぼと小さくなっていたら、向かいの人に声をかけられた。私の父よりすこし上ぐらいの年齢だろうか。
「大丈夫かい?」
「大丈夫」の一言で終わらせるつもりが、ほっとすると同時に言いたいことが溢れてしまって、ついべらべらとしゃべってしまった。大丈夫ではあるけど不安なこと。さっきの小学生のこと。車掌さんの態度のひどさについて。
彼は読みかけの分厚い本をいったん閉じて、要領を得ない私の一連のモヤモヤを、うんうんと辛抱強く聞いてくれていた。
一通り聞き終えた彼が口を開く。
「アジア人の差別の話は僕も耳にする。不安になるよね」
そうなんですと頷く私に、彼は続ける。
「それと、さっきの車掌に関しては安心してくれ。鉄道会社のやり方が “クソ” なのはずっとそうだし、誰に対してもああだから」
わざと悪い言葉を使ってくれてるのだと気づいて、ちょっと笑ってしまった。
笑ったら、かえって泣けてきてしまった。涙は悲しいときに出るとは限らない。無様に鼻水を垂らしながらありがとうと言っていたら、列車は終点のグラスゴーについた。
また旅が出来るようになったとき、きっと無邪気なだけではいられない。私の黄色い肌に対する無礼な視線や言葉を避けて通ることはできないだろう。楽しく旅をしたいと思っていても、心のどこかで覚悟は必要だ。
その日までは、学ぶしかないのだろう。過去を、現在を。自分が浴びて嫌だった視線を、言葉を、誰かに浴びせていないか、考え続けながら未来を待つ。
片渕ゆり(ぽんず)
1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。