温泉街のテロワール/龍崎翔子のクリップボード Vol.70
風呂嫌いである。
帰宅後もぐずぐずと巣にこもり、風呂に入りたくないと駄々をこね、同居人に「早く入れ」と叱られる毎日を送っている。
そもそも、風呂はタスクが多すぎる。クレンジング、洗顔、シャンプー、コンディショナー、ボディソープ、スクラブ、ムダ毛ケア、角質オフ。あらゆるタスクが美容の名のもとに課されており、入浴後にはまた化粧水、乳液、美容液、ヘアミルク、ドライヤー、歯磨き、フロス、まつ毛美容液、眉毛ケア……と続く。決して美容意識が高いわけではない私ですらこの忙しさなのだから、真剣に美を追求している人々は一体どれだけ多忙な風呂時間を送っているのだろうと思いを馳せる次第である。
そんなわけで、風呂は私にとって義務でしかなかった。
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そんな私のお風呂観が変わったのは、ある温泉街への旅がきっかけだった。
それは、九州のとある街を訪れた時のことで、駅前で捕まえて乗り込んだタクシーが静かに夕暮れの街を走り抜けていた。無口でぶっきらぼうな運転手が淡々とハンドルを握る中、私は次の予定を確認したり、今日泊まる予定の宿を予約するのに夢中で、ずっと下を向いて手元のスマホを覗き込んでいた。
ふと、何の気なしに、顔を上げた瞬間、景色が一変していた。
窓の外に、幾筋もの白煙が、街のあちこちからもくもくと立ち上っている。まるで神殿の柱が林立しているかのような光景だった。民家の屋根、路地の隙間、古びた浴場の裏手。街中の至るところに聳え立つ無数の煙突から、白い湯気が怒涛のように噴き出していた。あまりの光景に私は思わず声を上げて驚いてしまった。
興奮のあまり、思わずタクシーの運転手に、これはこの街では普通なんですか?と尋ねた。
中年に差し掛かった年頃の運転手はやる気のなさそうな声で、「これってそんなに珍しいんすか?いつもこんな感じですよ」と間伸びした声で答えた。こんな異様な風景を当たり前に感じているという、強烈な異世界感に脳が揺れるような思いがしつつ、普通じゃないのでもっと宣伝した方がいいと思います、とやっとの思いで言い添えた。
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そこは、街が唸りを上げて湯を沸かしている、とでも形容したくなる街だった。地球の奥底から湧き出る熱々のエネルギーが、お湯として、立ち上る湯気として、地面を突き破っている、とでも言えようか。その暴力的なまでの力を前に、人間がなんとか群れを成して鉄筋コンクリートの建物を建てて鎮めているようにすら見えた。アスファルトで舗装された大地の下には煮えたぎった湯が流れている様を想像して、えもいわれぬ感傷にしばし浸った。
その街からさらに山奥にある温泉街に行った時のこと。炭酸泉が湧き出る湯を湛える、とある有名建築家が設計した公共浴場に私たちは浸かっていた。日が暮れて辺りは薄暗く、温泉の成分が濃いのか、浴槽は土色の湯の花の結晶で覆われていて、あたかも古代の洞窟の中で入浴しているかのようだった。「なんだかモヘンジョダロにいるみたいだね」と博識な友人は言った。薄明かりに照らされたテラコッタ色の壁、温泉の湯気、にぎやかに笑う裸の女たち。確かにその空間の構成要素は古代となんら変わっていなくて、もしかすると本当に古代インダス文明の沐浴場もこんな感じだったのかもしれないと感じた。

その街の川沿いには小さな野湯があって、川縁を散歩したついでに入ることができた。本来は露天混浴なのだそうだが、周囲は温泉旅館が立ち並び、まばらではあるが人通りもあるし、川向かいには宿の客室の窓が見えて宿泊客と目が合いそうですらあったので、足湯のように入ることにした。石を組んで作られた窪みのような野湯は、温泉成分でぬるぬるしていて、しばしばお湯が溢れて服が濡れた。初春の柳の下を吹き抜ける夜風は涼しく、川の流れは清流と温泉が入り混じってどことなく温かかった。
温泉宿に戻って、かつての女将が夢のお告げに従って掘り当てて歓喜したという温泉にも浸かった。茶室のにじり口のような出入口をかがんで通り抜け、小さな露天風呂に入る。浴槽にこびりついた湯の花は、結晶したばかりなのか鋭利に尖っていて、風呂の縁を跨ぐたびに膝やももに小さなひっかき傷がいくつもできた。肌に赤く滲んだいくつもの細い線を眺めながら、これが野生の入浴なのだろうと考えたりした。

今まで自分が入ってきたお風呂は、今思えばどれもツルッとしていたような気がする。東京の木造二階建てアパートのプラスチックのお風呂も、今暮らしているヴィンテージマンションの大理石のお風呂も、スーパー銭湯の大判タイルのお風呂も。それらは肌に優しくて、滑らないし、怪我もしづらい。煌々と照らされた浴室でボタンをピッと押せば、ガスだか電気だかで温められた清潔なお湯が一瞬で湧き出てくる。
風呂場や洗面台には色とりどりのバスアメニティや基礎化粧品が所狭しと並び、ひとりのお風呂時間を大切にしようなどとのたまいながら、裸で過ごす無防備な瞬間にまで容貌至上主義と結びついた資本主義が入り込んで私に更なる消費を要求する。
無菌室のように無機質な空間の中で、第三者の眼差しに追われるかのように、身体を洗ってはさまざまなものを塗りたくる。それは快適さを極めた結果の、現代の生活に欠かせない営みでもある。でも、だからこそ、野生の風呂に入りたい。地中から湧いてきたような湯の濁り、浴槽にこびりついた白い結晶、空に向かって立ち上る湯気。大地のほとばしるエネルギーで沸かされた湯に浸かりたい。

夜が更けて、飲み屋から宿に向かう帰り道、道路の側溝からさえも湯気が立ち上っていた。小さな川の流れも温かく、辺りには湯の花が結晶していて、コンビニの駐車場のアスファルトの隙間からも微かに湯気が立っている。街角のスナックのネオン看板と、商店街の猫、24時間営業の浴場。この街には湯がある。湯と共に、暮らしがある。そして思うのである。これこそが、温泉街のテロワールなのか、と。
プロフィール

龍崎翔子
龍崎翔子/SUISEI, inc.(旧:株L&G GLOBAL BUSINESS, Inc.)代表、CHILLNN, Inc.代表、ホテルプロデューサー
1996年生まれ。2015年にL&G GLOBAL BUSINESS, Inc.を設立後、2016年に「HOTEL SHE, KYOTO」、2017年に「HOTEL SHE, OSAKA」を開業。
2020年にはホテル予約システムのための新会社CHILLNN, Inc.、観光事業者や自治体のためのコンサルティングファーム「水星」を本格始動。
また、2020年9月に一般社団法人Intellectual Inovationsと共同で、次世代観光人材育成のためのtourism academy "SOMEWHERE"を設立し、オンライン講義を開始。2021年に「香林居」、2022年に「HOTEL CAFUNE」開業。