ひとり暮らしの自由を捨てて、森の隣に住んだ日のこと/ぽんずのみちくさ Vol.5
ひとりが好きだ。自由で、気楽で。誰かと一緒に住むなんて、論外だと思っていた。
なのに突然、「人と暮らしたい」と思うようになった。
それは大学4回生、春のこと。就活で心が疲弊していたせいもあるだろう。当時、毎日観ていたドラマ「フレンズ」の影響かもしれない。
卵が先かニワトリが先か、詳しいことは忘れてしまったけど、ちょうど引っ越したいと思っていたタイミングで、とあるチラシを見かけた。
「シェアハウス 入居者募集中」
大学の掲示板にびっしり並べて貼ってあるそのビラには、ちょっと意地悪そうな鴨の絵(しかも2羽)が描いてある。「シェアハウス」というキラキラした響きに似つかわしくない、ラブリーさに欠けた絵柄を、私は気に入った。
さっそく連絡を取り、見学に行く。
下鴨神社のすぐ隣、閑静なエリアにあるそのシェアハウスは、かつて住み込みのオフィスとして使われていた建物だった。住人は皆、学生。入り口の階段をのぼると、古いビル特有のひんやりした空気を感じる。昭和から時が止まったような建物からは、レトロぎりぎり手前くらいの懐かしさが漂う。
連絡の窓口となり当日の案内をしてくれた成田さんは、にこやかで愛想の良い人だったので、私はすぐに警戒をといた。彼が夜中に突然クラリネットを吹きはじめる奇怪な人だと知るのは、まだ先のことだ。
血縁のない複数の人間が、ハウスをシェアしているのは間違いない。だけどそこは、「シェアハウス」というよりは、「無法地帯の学生寮」とでも言うべき場所だった。大学きっての変わり者たちが住んでいるという噂は、どうやら本当だった。
お風呂は笑っちゃうくらい汚いし、巨大なベランダもホコリまみれ。ソファの下には年季の入った靴下、押入れの中には怪しい狐のお面、やたら高級そうな音響設備に、とぐろを巻いたコード類。冷蔵庫は4つもあるのに、1つは何故か動かない。難癖をつけようとすれば、いくらでもつけられそうなカオス空間だった。
でも、一目見てとても愛してしまったのだ。本棚。壁にびっしりと並ぶ本棚。
自分では絶対に選ばないような本たちや、未知の領域の専門書。誰かと住むということは、それだけ世界が広がるということ。知らない世界への扉が増えるということ。
「考えてから、また連絡します」
成田さんにはそう言って別れたけど、心の中ではもう決めていた。あの巨大な本棚と、その持ち主たちと、一緒に住んでみよう。
そうして私はささやかな自分の城と自由を手放し、大学生活最後の1年が幕を開けた。
実際に誰かと住んでみることは、めんどくさくて不自由で、喧嘩もしょっちゅうあった。だけどその不自由さこそが、求めていたものなのかもしれなかった。あの日、直感にしたがって入居を決めたことは、私の中でも指折りの選択だったと思っている。
ぽんず(片渕ゆり)
1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。