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ハッピーエンドをつくる人/ぽんずのみちくさ Vol.81

片渕ゆり(ぽんず)<連載コラム>毎週火曜日更新
ほんとに大切にしたい経験は
履歴書には書けないようなことばかり
旅をおやすみ中のぽんずが送るコラム

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ハッピーエンドをつくる人/ぽんずのみちくさ Vol.81

ねぇ、ムーミン。こっち向いて。

子どもの頃からぼんやりとあったムーミンのイメージは、ぽってりとした体にパステルブルーの毛並み。いや、毛が生えているのかもよくわからない。よく言えば穏やかそうな、悪く言えばぼんやりしていそうな表情。

幼いころの私は、胸躍る冒険物語や背筋の寒くなる幽霊話が好きで、平和そのものといった雰囲気をまとったこの北欧のキャラクターに、とくに興味を抱くことがなかった。大人になるまでそれは変わらず、たまに「原作は良いよ」「スナフキンの言葉は沁みるよ」なんてオススメされても、「ほうほう」とは思うものの、正直なところあんまりそそられることはなかった。

イメージが一変したのは、2019年のこと。北欧っぽい雰囲気を味わいたいという軽い気持ちで、埼玉にあるムーミンバレーパークを訪れた。そこにある資料館で、頭を殴られるような衝撃を受けたのだ。ムーミンの作者、トーベ・ヤンソンの生涯は、私が勝手に思い描いていた「ぽわんとした水色の生き物像」からはかけ離れたものだった。

ムーミンが生まれた背景には、戦争があった。むごたらしい戦争を経験した彼女が、生まれて初めて作ったハッピーエンドの物語が、ムーミンだったのだという。

資料館には、トーベの原画や、アニメ化される前のペン画も数多く展示してあった。フィンランドの長い冬も、日の沈まない白夜も、経験したことはない。だけど、ペンで一画ずつ、紙から掘り出すように描かれたムーミンの絵を眺めていると、冬の朝の匂いや、静まり返った雪景色の厳かさや、風にそよぐ爽やかな夏草の香りなんかが、伝わってくるような気がした。

ハッピーエンドの物語を描く人の人生が、光に満ちているとは限らない。作り出すものがいくら可愛らしくても、平和に見えても、それを生み出した人が順風満帆な生活をしているとは限らない。苦しいからこそ明るいものを作る人だっているし、悲しいからこそ楽しい物語を生む人だっている。当たり前のことなんだけど、つい忘れてしまう。小さなムーミントロールの絵を前に、すこし反省した。

トーベの生まれ育った場所も行ってみたいと思っていたけれど、その後コロナで世界は一変したので、その希望はひとまず宙ぶらりんになっている。そんな中で心待ちにしていたのが、2021年10月に公開の映画「TOVE / トーベ」だった。

トーベの半生を描いたこの作品は、彼女の人間関係やキャリアをめぐるストーリーを中心に構成されている。大いに笑い、泣き、悩み、そして踊り、失敗を重ねながらもしっかりと歩んでいくトーベ。遠い国で生まれて、もうこの世にはいない人なのに、彼女のぶつかった壁はなぜかことごとく身近なものに思える。

ゆく先がなんとも不透明なこのご時世。会いたい人にも簡単には会えず、行きたい場所に行けるとも限らない。それでも、トーベの作った物語や、彼女自身の生き様は、今を生きる私たちにも、手を差し伸べてくれている。

片渕ゆり(ぽんず)

1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。

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