後悔だけは、したくない?/ぽんずのみちくさ Vol.45
「後悔だけは したくない」
このフレーズに初めて出会ったのはいつのことだっただろう。おそらくは小学生か、中学生のころか。J-POPの歌詞かもしれないし、ドラマのセリフだったかもしれない。
“後悔だけはしたくない” で検索をかけると、歌やブログや、インスタのハッシュタグまでが出てくることからもわかるように、このフレーズがある種の慣用句のようにして多くの人の頭に入っていることは間違いなさそうだ。
でも、ある時ふと思った。
なんで、後悔「だけは」したくないんだろう。
そんなことを思うのも、自分の人生に「後悔」がわんさかあるからだ。
小さいことで言うと、飲み会の帰り道なんかは「あんな言い方をしたのはまずかった」「Aさんのノリに合わせようとしちゃったけどBさんには嫌な思いをさせたかも」などと一人脳内反省会を繰り広げながら帰路に着く(この一年はそれがZoom会やオンライン配信に変わったけど)。
大きいことで言うと、学生時代に留学しなかったことを何年も後悔しつづけている。当時の私は妙なところで生真面目というか、頑固すぎた。「その国でしか学べないことがあって、かつ、それが真に学びたいと言えるだけの動機がないと、留学なんかしてはいけない」というルールを自分に課していた。タイムマシンがあればすっ飛んでいって「なんにも考えなくていいからとりあえず行け!行ってから悩め!!!」と肩をゆさぶりたい。
言うまでもなく、社会人になると留学のハードルは高くなる。
だけど、じつは今、ひそかな野望として「海外の大学院へ留学したいな」と思っている。
仕事はどうするのか?お金は足りるのか?その後のキャリアはどう描くのか?
考えるべきことは山積みだし、リサーチも全然足りていない。だけど、「大学院に行きたい」と口にした瞬間、ぽっと光が灯った。まだマッチ棒くらいの大きさの灯りだけど、それでも確実になにか、「後悔」が「希望」に変わる風向きの変化みたいなものを感じた。
やっぱり学びたい。母国語の使えない環境で、学んでみたい。そんな気持ちは、紛れもなく「後悔」があったからこそだ。
そりゃもちろん、ポジかネガかで言えば、後悔はネガな感情だ。でも、後悔「だけは」したくないと言われるほど厄介な感情だろうか。深く考えることもなく枕詞のように使っていたフレーズが、無意識のうちに、自分の思考回路にも影響していたような気がする。「ああ、私は後悔するような選択をしてしまった愚かな人間だ」と嘆く負のループ。
そもそも、後悔のない人生なんてありえない。人生は選択の連続で、どんなに輝いて見える人だって、何かを選ぶと同時に何かを手放して生きている。そこになんの後悔も生じないだなんて、嘘だ。後悔のない人なんていない。ただ、後悔を覚えたあとにすぐその気持ちを忘れたり、別の感情に昇華させたりすることは可能なのだと思う。
だから今、後悔だけはしたくない……とは、思わない。後悔するのはしょうがない。後悔をエネルギーに変えた先にある日々は、きっと、明るい。
ぽんず(片渕ゆり)
1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。