どこかに続く場所へ/ぽんずのみちくさ Vol.76
かつて通っていた高校は、電車を乗り継いで2本、実家から1時間以上かかる場所にあった。「遠い」の基準は地域や人によってそれぞれだと思うけど、当時はよく「遠いところから通っているね」と言われていたし、私自身もわりとそう思っていた。
そんなわけで、入学以来初めての期末試験が終わった日の午後、帰りの電車に揺られながら、私はひとりぼっちであることに気づいた。なんで帰る前にクラスメイトに声をかけなかったんだろう。プリクラ撮ろうとか、ファミレス行こうとか、誘ってみればよかった。せっかく試験が終わったのに、解放感を一緒に味わってくれる人が誰もいないじゃないか。そう思ったところですでに遅い。
地元の友人たちは別の高校に通っているので今日も普通に授業だし、両親は仕事。無限に続くように思えたテスト期間をやっと乗り越えたのだ。日が落ちるまでまだ時間はある。おとなしく家に帰るだけじゃつまらない。
どこか遠くへ行きたい。
突如、頭に思い浮かんだのは、港だった。福岡にある、博多埠頭。家族旅行で韓国に行ったときに訪れた場所だ。
船で向かう海外は、飛行機の旅とまた違う趣がある。船の旅はテンポがのんびりとしているから、そのぶん「移動しているぞ」という実感がある。見慣れた景色が少しずつ遠ざかっていき、はじめは濁っていた波の色が、沖に向かうに連れて徐々に青く深くなっていく。「海外」という文字のとおり、海の向こうにある場所を目指していることを体感できる。
今日の私は船のチケットもないし、旅の予定もない。それでも港へ行きたい。船を眺めたり、ロビーの椅子で行き交う人たちを眺めたりして、旅の予感のようなものを味わえれば、それでじゅうぶんだ。
家には帰らず、そのまま港へ向かうことにした。
バスに乗り換えたどり着いた港は、記憶のとおりだった。ターミナルに足を踏み入れた瞬間、人が少ないことに気づく。なんともう閉館時間だという。滞在時間たったの20秒で、私の擬似旅行は終了した。
それでも満足だった。今日は港まで来られたのだ。次は船に乗れば、もっと遠くへ行ける。その先は続いている。きっといつか、どこへでも行けるようになる。
「自分はどこへでも行ける」。実際に行くかどうかの前に、そう思えること自体が、時に大きな力になりうる。どこへも行けないような気がしてしまったときは、せめてどこかへ繋がる場所へ行くと気が晴れる。海でも空でも。港でも空港でも。大事なことを、忘れてしまわないように。
片渕ゆり(ぽんず)
1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。