失敗した旅のはなし/ぽんずのみちくさ Vol.33
「今までで、一番良かった旅の思い出を教えてください」
そう聞かれるたびに、いつも迷ってしまう。どの国も、どの場所も、それぞれの良さがあるから、実際に行ったらどこだって楽しい。思い出に順位をつけるのは、「一番好きな人間は誰ですか?」と聞かれるのと同じくらい難しい。
だけど、「一番失敗した旅」の思い出ならすぐに思い出せる。
数年前、映画「恋する惑星」を観て、「次の休みは香港に行こう」と決めた。
どこか懐かしさを感じる景色に心を掴まれて、香港という場所に実際に行ってみたくなった。ぎらぎらしたネオンで覆われた城塞のような街並みや、熱気を帯びたエネルギッシュな雑踏を、この目で見てみたい。
期待を抱いて向かった香港では、失敗続きだった。
まず、映画のロケに使われた場所の多くは、撮影当時とずいぶん様変わりしていた。ロケ地になったお店は、とっくの昔に取り壊されていた。目覚ましい速度で変わっていく摩天楼に、昔の面影を探そうとしたのがそもそも間違いだったらしい。
香港といえば点心を食べるぞと意気込んでいたけど、いざ行ってみて気づいたのは、点心は複数人でシェアして食べるものだということだった。一人ではそんなに種類も食べられない。結果、店先ですぐに買えるエッグタルトばかりを食べていた。最初は美味しい美味しいと食べていたけど、3つ目くらいから胃がもたれてしまった。
マカオへ行ったところでカジノに入る度胸もなく、ただ遠巻きに建物を眺めるだけで帰ってきてしまった。
しまいには、命綱であるiPhoneまで、うっかり落として割ってしまった。手からすべり落ちたiPhoneは、画面を下にして威勢良く道路に落下した。液晶は蜘蛛の巣状に割れ、今にもガラス片がポロポロ落ちてきそうだ。
「割れたね!」豪快に割れたiPhoneを見て、通りすがりの人が笑っている。おろおろする私を見て、近くの女性が話しかけてくる。
「それ、修理できるわよ!」
「どこで?」
「どこか行けば直るわ!じゃあね!」
ここまで来て、いったい自分は何をしているんだろう?そう思ったらどうしようもなく悲しくなってきて、ぼろぼろ泣いてしまった。いい大人が街中で泣いてることに情けなくなって、さらに涙が出てくる。
香港で、私は楽しい記憶を作れなかった。じゃあ香港は退屈な街なんだろうか?もちろん答えはNOだ。
あのとき私が香港を楽しめなかった理由は、私自身の気持ちが疲弊していたからなんだと、今になって思う。
ロケ地にこだわらなければ、レトロな街並みはまだまだ残っている。ひとりで入れる美味しいお店だって、ほんとはたくさんある。iPhoneだって帰国すればすぐに修理できる。私が勝手にいじけて、疲れて、旅を退屈にしていた。
香港に行って、わかったことがある。旅先に楽しませてもらうだけじゃ、旅は楽しくならない。旅の魔法にかかるには、自分の気持ちが開いてなきゃいけないんだろう。催眠術を信じるように。
そしてもう一つ、笑った記憶だけが旅の思い出じゃない。怒ったり泣いたりした旅でさえ、終わってみればやっぱり愛おしいということだ。失敗した旅ではあったけど、それでも「行ってよかったな」という気持ちに嘘はない。
ぽんず(片渕ゆり)
1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。