北野詩乃
写真家、エッセイスト 東京の元花街・大森出身。広告代理店勤務後、スペイン・アンダルシア、NY・ブルックリンを経て、現在はオレゴン州ポートランド在住。広告や機内誌などを手掛けるほか、アメリカ人ジャーナリストであるリコ・ワシントンとのプロジェクト「We The People」がスミソニアン博物館に収蔵されている。6月にブルックリンにて開催されるJamel Shabazz氏キュレーションによる写真展に出展予定。
Nothing like New York
いい意味で自分が透明人間になれる街ニューヨーク
「NYへ帰ると必ず寄って写真を撮るグランドセントラルステーションは、歴史の浅いアメリカで少しだけ歴史を感じられる場所。ピアニスト小曽根真さんのアルバム『ディメンションズ』のジャケットもここで撮影した」。
ストリートだからこそ出会える人たちがいる
“カメラのロゴは黒のテープで隠せ、常にカメラは鞄に入れろ”といきなり見知らぬ人からアドバイスをもらったことがある。普段は放置なのに実はお節介なのがニューヨーカーなのだろうか、たまに落ち込み下を向いて歩いていると、励ましてくれるのはなぜかきまって黒人のおじさんたちだ。両手を広げ、街中の全員に聞こえるような大きな声で“顔あげて!スマイル!”と言われると、つい笑ってしまう。そのときの私の笑顔はひどく歪んでいたに違いないが、足取りは少しだけ軽くなった。
人種が多様で、500か国以上の言語が話され、映画撮影は日常茶飯事、有名人がいても意に介さず―NYほどいい意味で透明人間になれる場所を私は知らない。この街で、言葉ではないコミュニケーションを取ることがある。
冬の夕暮れ、ブルックリンを歩いていると靴屋を見つけた。窓は水蒸気で少し曇っており、その中におじさんが一人で靴を修理していた。そのかっこよさに、おもちゃを欲しがる子供のように窓の外から彼を眺めていた。堪らずカメラを構えると私に気がつき一瞬不思議そうな顔をしたが、こちらの意図を察したのか、まるでモデルとなることを合意したようにコクリと頷いた。しばらく撮っていると外まで聞こえる音で靴屋の電話が鳴った。おじさんは電話を指差し、顔の表情で私に“電話に出るけどいいかね?”と聞く。受話器を取ってしばらく話すと“待たせたね”という合図をし、再び靴の修理を始めた。私の知るNYは、こういうことが時々ある。まるでジャズのアドリブのように、ヴァイブスを交換して言葉を必要としない会話をし、それが終わると、私たちはそれぞれの場所へ戻っていく。
いま、自分の目に見えているものがすべてではない
「グランドセントラルステーションを毎時間7500人が通過するそうだ。人を観察しながら“この人はどこへ帰り、誰が待っていて、夕飯は何を食べるのかな”と想像する」。
「トライベッカを雨の中歩いていたら、しばらくすると太陽が現れ、アスファルトから水分が蒸発し湿気を帯びた空気が肌にまとわりついた。街から放たれる光はそれによってもっと鮮やかになって、ゆらゆらと動いていた」。
何が撮れるかわからない時は、 予想もしない被写体がこちらへやってくることもある
「夕方の光がとてもきれいで、建物の陰影と光が作る人の影を写そうと信号の向こうにいる人を撮ろうと思ったら、手前に人が入り込んでしまった」。
「ブルックリンの公園で、刺青を顔まで入れた男性が現れた。気になり話しかけると(一緒にいた仲間の黒人男性たちはなぜか少し距離を置いた)どうやら亡くなった彼の母親が牡羊座で、いつもそばに感じたいから“牡羊座” “母”と漢字で胸に入れたそうだ。私が漢字を読めると知ると彼は喜んで、着ていたTシャツを快く脱いで撮影に応じてくれた」。
移れば変わる世の習い、だからこそ愛おしいこの世界
写真を始めたきっかけはいくつかあるが、就職活動中に渋谷の古本屋で吉田ルイ子さんの写真集を手にしたのが最も大きい。その後『ハーレムの熱い日々』を読みルイ子さんに連絡をすると、アシスタントの方のお手伝いならきてもいいと言われたのでルイ子さんが当時住んでいた豪徳寺へ引越した。直接写真を教わったことはないが、一度新橋の高架下を一緒に歩いている時、焼き鳥屋で呑む人たちを撮り始めたルイ子さんは、まるで踊るようにシャッターを切っていた。それを見て、この人に撮られて嫌な人はいないだろうなと思った。ルイ子さんの“類”は、人類ではなく“人類愛”の類だという彼女の写真はまさにそれを表現しているように思う。
今年の夏は車で単独アメリカ横断を試み、来年にはその旅の写真&エッセイ集を出版する予定。いまでも分断が続くこの国で、思想や宗教や人種を超えた“人”を写したいと思う。自分が見えているものがすべてではないからこそ、ファインダーから見える被写体の、その奥にある何かを汲み取ることを心がけている。例えばこの世界が一つですべて繋がっているとしたら、自分は一部であり、自分は全体である。けれども私たちはそれを忘れがちで、だからこそアートを通してその繋がりを少しでも感じてもらえたらうれしい。
「マンハッタン橋はブルックリンとマンハッタンを繋ぎ、イーストリバーの上にかかっている。マンハッタン側から歩いて橋の真ん中で立ち止まると、目の前にブルックリン橋、遠くに自由の女神がかすかに見える。ようやくブルックリン側へ到着すると、地に足がついたような安心感とともに見えてきた風景。背が低いため柵が避けられなかった」。
GENIC vol.63 【World Street Photography】
Edit:Yuka Higuchi
GENIC vol.63
GENIC7月号のテーマは「Street Photography」。
ただの一瞬だって同じシーンはやってこない。切り取るのは瞬間の物語。人々の息吹を感じる雑踏、昨日の余韻が薫る路地、光と影が落としたアート、行き交う人が生み出すドラマ…。想像力を掻き立てるストリートフォトグラフィーと、撮り手の想いをお届けします。