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旅に出ても人生観は変わらなかったけれど/ぽんずのみちくさ Vol.31

ぽんず(片渕ゆり)<連載コラム>毎週火曜日更新
ほんとに大切にしたい経験は
履歴書には書けないようなことばかり
旅をおやすみ中のぽんずが送るコラム

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旅に出ても人生観は変わらなかったけれど/ぽんずのみちくさ Vol.31

「旅に出て人生観が変わった」という言葉をよく聞くけれども、じつをいうと、自分で実感したことはない。

「生きる」とか「死ぬ」とか「人生をどう捉えるか」ということについては、文字通りその人の「人生」をかけて育まれてきたものではないのかと思っていて、生まれ育った環境や、受けた教育や、親しくつきあった人や、繰り返し読んだ本や、無意識に口ずさむまで聴きこんだ歌や、そういった全てに影響されるんじゃないかなと思っている。ほかの人はわからないけど、とりあえず私はそうだ。

だから「旅に出て人生観が変わった」というフレーズを耳にするたび、私の旅は平凡すぎるのだろうかと思ったりする。

だがしかし。そんな地味な旅をしている私にとっても、小さな部分での “変化” は確実に存在する。私にとってそれは、たいてい「食」だ。

韓国でぷりっぷりのナッチポックム(手長ダコの激辛炒め)を食べて私の「蛸観」は変わったし、タイでジューシーな鶏肉を食べたときは「鶏肉なめてた、ごめん」と胸の中で謝った。カンボジアでパイナップルライスを食べれば、パインがご飯の具として立派に成立することを認めずにはいられなかった。パリでクレープを食べたときには、シュガーバターの上品な美味しさに危うく涙するところだった。

食文化というものは、その土地の風土と切っても切れない関係にあるわけで、その土地で、その喧騒と気温の中で、そこに降り注ぐ日光のもと、初めて味わえるものがある。そしてその味は、のちの人生における蛸観やパイン観をすっかり変えてしまうこととなる。

蛸とかパインとか、そもそも私の中でそんなに愛情を注いでなかった食べものでさえいっきに自分の中のランキングが急上昇してしまうのである。もともと好きだったラッシーをインドで飲んだときにはたいへんな衝撃だった。



ジャイプルという街にある、看板も出ていない小さな専門店で飲んだラッシーは、まさに極上の味。ぽってりとした質感の素焼きの器に、なみなみと盛られている。そして上には、クリームチーズのような食感の水切りヨーグルト。アイスについてくる木べらみたいなスプーンで、時折すくって飲む。ちなみに飲み終わったら素焼きの器ごとゴミ箱に投げ捨てるというワイルドなスタイル。

もう、一口目から感動してしまった。まず食感が違う。濃い豆乳のような、なめらかな舌触り。濃厚だけど、甘ったるくない。砂糖の甘さではなく、牛乳本来の甘みが口中にじんわり広がる。ヨーグルトの酸味はほとんど感じないのに、鼻にぬける香りは爽やか。

半ば興奮状態のまま立て続けに2杯飲み、店のおじちゃんは微笑みと困惑が入り混じった顔をしていた。飲み終わってからしばらくはもう、ラッシーのことしか考えられなかった。

そんなわけで、私の “ラッシー観” はインドですっかり変わってしまった。

インドに滞在しているあいだ中、目敏くラッシー屋を見つけては駆け寄った。帰国後も、ラッシーを飲むためにインドカレー屋に入り、ネットで評判のレシピを見かければ作ってみるようにしている。それでも、あのジャイプルのラッシーと同じものにはまだ出会えていない。この先出会えることはないんじゃないかとも、薄々思っている。

一生忘れることのない恋をした人が(それが片思いや失恋であっても)ある種幸福であるのと同じように、忘れられないラッシーに出会ったこともまた幸福なのかもしれない。たとえそれが、二度と飲めないとしても。

ぽんず(片渕ゆり)

1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。

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