記憶を食べる/ぽんずのみちくさ Vol.56
食事をするとき、私は、目の前にある食べ物そのものだけでなく、同時に記憶も食べている、と思う。
生まれて初めてちゃんと羊肉を食べたのは、ウズベキスタンでのことだった。首都タシケントのレストランに入り、こわごわと注文した。
適度な歯ごたえと、香ばしい風味。うん、おいしい。
その後も、ウズベクにいるうちに一度でも多く羊肉を食べておこうという気持ちになった私は、サマルカンドの街でも羊にチャレンジした。土産物屋に併設されているカフェスペースのような場所で頼んだのは、羊肉の餃子。
すこし控えめな肉まんくらいの大きさで出てきた餃子は、ほかほかと湯気をたてている。いただきます。がぶりと噛みつき、異変を感じた。
これが……羊の……くさみ……!
香辛料が薄かったのか、そもそも「そういうもん」なのかわからないけれど、口の中では野性味あふれる羊たちが盛大に踊っている。恐れをなして食べるペースが落ちると、餃子はゆっくり熱を失っていく。冷えるにつれて、羊の野性味が凶暴さを増していく。
その一件以来、羊を食べるたび、きっちりと整備されたサマルカンドの街並みや、土産物屋に並んでいたカラフルな衣服や、店内の簡素な椅子とテーブルなんかが、走馬灯のようにかけめぐるようになった。
味や調理法に限らず、羊のかすかな香りを察知すると、脳内で自動再生が始まる。
北海道でもジンギスカンを食べたけど、そのときもやっぱり脳内はサマルカンドにいて、目の前の羊よりもいくぶんか野性味強めのあの味を同時に思い出していた。
余談だけど、北海道に行くまで、ジンギスカンイコール羊肉だと思い込んでいた。北海道には豚肉のジンギスカンもあって、スーパーに行くとさまざまなジンギスカンが鎮座ましましていた。世の中、知らないことだらけだ。
話を戻そう。食べものと記憶についての話を、もう一つ。
アメリカ南部にあるニューオリンズは、ジャズの街とも呼ばれる。訪れたのはもう十年近く前のことで、まだ一人旅の経験もほぼ皆無だった。
泊まるはずのホテルで一悶着あり、その日の私は楽しさよりも心細さが勝っていた。家族や友人に連絡を取ろうにも、ガラケーで国際電話をかけるしかないし、国際電話は高いし、なにより今現在、故郷は真夜中だ。
落ち着くために、ガイドブックで見て気になっていた、カフェ・デュ・モンドという老舗のカフェに入る。ここの名物はチコリという植物をブレンドしたチコリ・コーヒーと、ベニエという揚げ菓子。
ほろ苦いカフェオレと、粉砂糖をたっぷりまぶした揚げ菓子は、めそめそした気分のときに食べるものとして、なかなか悪くない選択だと思う。
川辺では、ギターでビートルズの曲を弾いている人がいた。ビートルズの曲なんて世界各地でみんなが歌っているわけで、それ自体がとくに物珍しいものでもなんでもないとはわかっていても、何もかもが知らないものだらけの場所でよく知る曲を聴くのは、ちゃんと同じ世界に存在していますよという証明のようで嬉しかった。
帰宅してそうそう、自分でもベニエを作ってみた。出来上がったのはいささかベタついたドーナツもどきのようなもので、贔屓目に見ても上出来と言えるものではなかったが、私は満足だった。
自家製ベニエをかじる。泥の色をしたミシシッピ川が目に浮かぶ。道端で突如始まる人形劇や、遠くでなるトロンボーンの音色が聴こえる。ベンチには、夫婦だろうか、ちょうど両親くらいの年齢の二人が寄り添いあって、何を話すでもなく、ただ座っていた。
今日のところは、これでじゅうぶん。口のまわりについた粉砂糖をぬぐいながら、悦に浸る。
片渕ゆり(ぽんず)
1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。