京都のある夜のこと/ぽんずのみちくさ Vol.9
京都の夜は、すこし特別だと思う。大人になったら夜の闇なんて怖くなくなるのだと思っていたけれど、京都の闇には、なにかじっとりとした怖さを感じることがある。
大学の裏手に、30分そこそこで登れる小さな山があった。登山というほどの気合はいらないが、そこそこ良い運動になる。
その日は、日が傾きかけてから友人2人と山に登った。
軽妙な笑い話が得意なSと、H。私たち3人は常に誰かしらが恋愛において失敗しており、その日も、慰めたり慰められたり笑い飛ばしたりしていた。
山のてっぺんには開けた場所があって、そこからは京都の街を一望できる。高い建物といえば京都タワーくらい。東京や香港で見た夜景と違って、高層ビルやネオンの華やかさはない。だけどそこが好きだと思った。ほんのり霞んだ先に見える碁盤の目。背の低い住宅たち。鬱蒼としげる真っ黒な森のような御苑。夜景といえど、あるのは生活の光だけ。
美しいものを見たからといって悩みが消えるわけではない。だけど束の間、解放されることはある。
帰りは懐中電灯をつけずに降りることにした。特に理由はない。ずっと暗い場所にいて闇に目が慣れてきていたし、どこか肝試しっぽくて楽しいかなと思ったのだ(危ないのでくれぐれもマネしないでね)。
一度慣れてしまいさえすれば、月明かりだけで案外なんとかなった。
聞こえるのは自分たちの声と足音、風の音。時折がさごそと物音がする。虫か、獣か。そういえば、この近くで鹿を見かけたこともあったと思い出す。
ごつごつとしていた足元が、急に平らになる。ここからはもう、舗装された道だ。アスファルトの硬さと歩きやすさにびっくりする。一般道はすぐそこだ。「いけるもんだね」「楽勝だったね」ちょっとした達成感がこみ上げてくる。
「うわ、人工的ぃ」飛び込んできた蛍光灯の白い光が目につんときて、思わずつむってしまう。『平成狸合戦ぽんぽこ』のタヌキもこんな気持ちだったんだろうか。
だけどタヌキに思いを馳せるのはほんの一瞬で、次の瞬間にはお腹が空いていることに気づく。
すこし先に、おでんの屋台が見えた。おでんの季節ではないけれど、温かいものが恋しい。満場一致で屋台へ向かうことにした。
「こんばんは」屋台のおばちゃんが愛想よく迎え入れてくれる。「いらっしゃいませ」じゃないところが好きだ。
「4人ね、そこ座って」
はて。
なにを連れてきてしまったんだろう。心地よい疲れでゆるんだ私たち3人の表情が、すっと真顔になる。
京都の夜を、甘く見てはいけないのだ。
ぽんず(片渕ゆり)
1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。