それでもカメラを持ってく理由は/ぽんずのみちくさ Vol.71
「スマホでも綺麗な写真を撮れる時代に、どうしてわざわざカメラを旅に持っていくんですか?」
DMやイベントなどで、そういった趣旨の質問をいただくことが、たびたびある。たしかに旅の荷物は軽い方がいいし、貴重品は少ないに越したことがない。たとえ小さなカメラでも、替えのレンズやバッテリーなどを入れれば軽く数キロを超えてしまう。
「カメラの方が細かく設定して撮れるから」
「カメラという機械が好きだから」
「人によっては、スマホでももちろん十分だと思う」
というようなことを今まで答えてきて、それはそれで嘘じゃないし、私なりに考えて言ったことだったけど、なんとなくまだ言い足りてないような気持ちがどこかにあった。
先日、仕事で数日のあいだ家を離れた。普段、泊まりで出かける場合は、写真を撮る必要性があろうがなかろうが、とにかくカメラは持っていく。しかし今回に限っては、そのほかの荷物が重くて大きくて、カメラは泣く泣く諦めた。うっかり壊したり忘れてきたりすると洒落にならない。どんなところにも連れて行っていたFUJIFILM X-T3がリュックに入っていないまま家を出るのは、忘れものをしてるようで落ち着かないけどしょうがない。
移動のあいだは、iPhoneだけで写真を撮った。それはそれで新鮮で楽しい。インストールしたまま起動したことのなかった新しい写真アプリを使ってみたり、広角機能で空を広く撮ってみたり。今まであまり使いこなせていなかったスマホのカメラ機能を、ここぞとばかりに研究してみる。
しかし、あくまでスマホは「スマホ」だ。スマートなテレフォンだ。当たり前だけど、写真のために設計された機械ではない。写真アプリを立ち上げて空を見上げるころにはもう、撮りたかった飛行機は飛び去り、毛繕いをしていた猫はどこかへ消えている……なんてこともしょっちゅうだった。
やっぱりカメラが恋しいなと思い始めたころ、日が傾いてきた。ひと息つこうとベンチを求めて立ち寄った公園には、大きな池があった。
ピンクともオレンジともつかぬ暖かい色に染まっていく絵画のような湖面を見て、「これは写真に残さねば」とスマホを取り出す。縦に撮ろうか、横に撮ろうか、いや正方形か。あれこれ構図に悩んでいたとき、「ピロン」という音とともに通知が画面を覆った。
「15分後に〇〇駅へ移動」
カレンダーアプリの丁寧な仕事は、見事なまでに夕暮れに浸る気持ちを削ぐ。スマートなフォンは、ぼんやりすることを許してはくれない。
残された15分間、スマホを片手に湖を眺めたけれど、もうなんとなく気持ちは急いていて、これからの電車の乗り継ぎのこと、返せていないLINEのこと、仕事の締め切りのことなんかがもやもやと頭を覆っていた。
「スタバに通うサラリーマンが買っているのは、コーヒーではなく時間だ」いつか電車の中で見かけたビジネス書の広告が、ふと頭をよぎる。
ファインダーを覗いている時間は、無心に景色を眺められる。カメラを買ったとき、私は「景色を眺める時間」も一緒に買ったのかもしれない。
情報の洪水の中に生きる毎日の中で、目の前の景色だけと向き合う時間。ただそれだけに集中する時間。やっぱり私は、カメラで写真を撮るのが好きだ。
片渕ゆり(ぽんず)
1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。