ふたりの気持ちとひとつの夕日/ぽんずのみちくさ Vol.29
去年の夏、旅暮らしをするために、新卒で入った会社を辞めた。定年まで勤め上げる人も少なくない風土の会社なので、4年半で辞めた私はマイノリティだった。
「フリーランスで文章と写真の仕事をしています」というと、なんだか自由を謳歌してるっぽい印象を持たれてしまうけれど、私は別に “フリーランス” になりたかったわけではなかった。規則正しい生活が好きだし、むしろ会社員のほうが向いている。
ただ、1年か2年くらいの長い期間、気の済むまで旅をしてみたいと思ったときに、フリーランス以外の選択肢がなかっただけのことだ。
「いつか辞めるかもしれないな」とぼんやり思ったのが入社直後のことで、はっきり「準備が整ったら辞めよう」と決めたのが入社3年目の春ごろだっただろうか。それから1年半のあいだは、旅の準備をしたり、本格的に貯金したりして過ごした。
実際に旅に出てみて、私と同じような立場の人は国を問わず案外いるもんだということを知った。
エイミーに出会ったのは、ウズベキスタンのヒヴァという街だった。宿の共有スペースで話しかけられ、アメリカのドラマ「フレンズ」が好きと知って話が弾んだ。
聖都であったヒヴァは、今現在でもその形を留めている。現在は屋外博物館として多くの建物が保存され、公開されている。
乾いたこの土地は、空模様も美しい。ある日の夕方、古都に沈む夕日が見てみたくて、テラスのあるカフェへ向かった。小さい街なので、夕焼けを楽しもうと思ったときに向かう場所は限られている。約束していたわけではないけれど、ほどなくしてエイミーもテラスに現れた。
夕焼けなんてどこでも見られるのに、旅先で見る夕日はなんでこうも特別に思えてしまうんだろう。熱いお茶の入ったカップを両手でかかえて暖をとりながら、城壁の向こうに消えてゆく太陽を見送る。
「旅が終わって、元の生活に戻れるのか不安になっちゃうね」
夕日を見ながら、自嘲気味にエイミーが笑う。感傷的な気持ちが、ふと現実に引き戻される。
「そうだよね」と私はうなずく。エイミーは世界的に有名な飲料のメーカーでマーケティングの仕事をしていたらしい。その職場を離れるのは、容易な決断ではなかっただろう。
「履歴書にも影響するし、そもそも次の仕事がうまく見つかるかどうかも保証ないしね」
「心配するの、そこ?」
拍子抜けしたように彼女は笑う。「私が言ってるのは、また毎日デスクに向かう生活に戻れる自信がないってことだよ」
そこ?と私も拍子抜けした。
「転職なんてどうにかなるよ」とエイミー。
「デスクワークなんていざ復帰すればすぐ慣れるでしょ」と私。
私たちの生活する国は違うし、仕事の見つけやすさや転職に対するハードルだってもちろん違うだろう。それでも、「どうにかなるよ」と笑うおおらかさが私にはありがたかった。
なみなみ入ったお茶のポットが空っぽになるまで、私たちは夕焼けを眺めた。
ぽんず(片渕ゆり)
1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。