会社帰りの冒険/ぽんずのみちくさ Vol.1
「サソリを食べに行きませんか」
そう誘われたのは、社会人になってすこし経った初夏のことだった。
誘ってくれた相手は、工藤さんといって、学生時代、ヨーロッパを旅しているときに仲良くなった人だった。工藤さんは絵を描くことをなりわいとしていて、いつもどこか飄々としており、私の知っているどの大人ともちょっと違う空気をまとっている。
まるで焼き鳥やピザのような、ごく当たり前の選択肢のように「サソリ」を提案され、気がついたら私は「行きます」と返信していた。「彼氏できた?」が繰り返される飲み会には飽き飽きしていた。この際、ゲテモノチャレンジだっていいかもしれない。
会社帰り、家とは違う方向へ向かう電車に乗る。平日だというのに新宿の夜は大賑わいで、こんなにも多くの人が飲みに繰り出しているのかとすこし驚く。
新宿・歌舞伎町のネオンをすりぬけ工藤さんに連れられた先は、東南アジアの路地裏にでもありそうな、こぢんまりとしたお店だった。てっきり、ゲテモノを前面に押し出したギラギラしたお店だと思い込んでいたから、ちょっと拍子抜けした。
乾杯もほどほどに、本日の目的であるサソリの唐揚げが運ばれてくる。唐揚げといっても姿はそのまま。まごうことなき、サソリである。
前菜を食べるときにも一度手を合わせたのに、何やらあらたまった気持ちになり、もう一度「いただきます」と小声でつぶやく。手のひらがうっすら汗ばんでいる私の目の前で、工藤さんはぱくりとサソリを口に入れ、ごく当たり前の顔をして食べはじめた。
ここまで来て怖がるのも悔しいので、えいやと腹をくくって私も口に入れる。
案外、いける。
味自体は、慣れ親しんだ鶏の唐揚げとさほど変わらない。見た目は凶悪なハサミと尻尾も、噛むと香ばしい。ビールに合う。
サクサクサクサクと小刻みに尻尾をかじりながら、ふと思った。そういえば工藤さん、「サソリを食べませんか」と言ってはいたけれど、「ゲテモノを食べませんか」とは言っていなかった。
もしかして、私が勝手にゲテモノのレッテルを貼っているだけかもしれない。派手な装飾や下品なメニュー、大袈裟な接客を想像していたけれど、実際はそうじゃなかった。私からしたらありえない食べ物も、どこかの国では立派な食文化だったりするわけだ。
そういうことって、たくさんあるのかもしれない。日本のワカメや海苔、納豆なんかも、外国の人からすると「信じられない」食べ物だったりするというし。
私の知っている世界は狭い。そう気づいて悲しくなることもあるけれど、まだまだ広い世界があると思うと、ちょっと羽が生えた気持ちになることもある。
バックパックを背負って世界の裏側へ行かずとも、ビジネスバッグにスーツでできる冒険もある。
ぽんず(片渕ゆり)
1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。