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非日常の中の、さらに珍しい出来事/ぽんずのみちくさ Vol.38

ぽんず(片渕ゆり)<連載コラム>毎週火曜日更新
ほんとに大切にしたい経験は
履歴書には書けないようなことばかり
旅をおやすみ中のぽんずが送るコラム

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非日常の中の、さらに珍しい出来事/ぽんずのみちくさ Vol.38

ひとり旅は楽しい。一生続けたいくらい楽しい。けれど、身の安全という面においてはどうしても気をつけなきゃいけないことが多い。ひとり旅は自由だが、それと同時に、不自由でもあるのだ。

旅先で仲良くなった初対面の人の家に泊まりにいく。相手の家でご飯をご馳走になる。古今東西の旅行記を開けばそんなエピソードに出会うけれど、残念ながら、そういった経験はほとんどない。親切心での誘いを断ることに申し訳なさで胸が痛むこともあるけれど、それでもやっぱり「安全」と「好奇心」を天秤にかけたとき、安全より重いものはない。

ただ、ごく稀に例外もある。この話はその例外の一つ。始まりは、中央アジアのウズベキスタンを走る列車の中だった。

そのとき私は、ヒヴァという街に向かっていた。長距離の移動手段は限られているため、車内は満員。かつてソビエト連邦の一部であったこともあるウズベキスタンでは、ロシア語を話す人は多いけれども英語を話す人は少ない。そんなわけで列車の中にも英語を話す人はおらず、身振り手振りやGoogle翻訳をつかって、まわりの乗客と簡単な会話をしながら時間を過ごしていた。

すると突然、20代くらいの女性がこちらへ歩いてくるではないか。
「あなた、英語しゃべれる?」

いきなり話しかけられて驚きながらも、どうやら友好的な声かけのようだったので少し安心した。彼女の名前はフィルーザという。持病のある2歳の息子を定期的に病院に連れて行くために列車で都市部に通っていると話した。わざわざ車両を移動してまで私のところに来たのは、「隣の車両に海外からの旅行客が乗っているらしい」と耳にしたからだそうだった。

フィルーザが英語を話すのは、ヒヴァの街にある大きなホテルで働いていたからだった。出産してしばらくホテルの仕事を離れている彼女は、「旅行者がいる」と聞いて、きっとひさびさに英語を話したくなったのだと思う。

私の目的地が同じヒヴァの街だと知って、フィルーザの目がパッと輝いた。
「ね、明日うちに遊びにこない?お昼ごはんをご馳走する!」

いつもなら丁重にお断りするお誘いだ。ただ、ウズベキスタンは非常に治安の良い国だと聞いていたこと、夜ではなく昼であることから、彼女の言葉に甘えてみることにした。

翌日、約束通り訪れた彼女の家では、手作りのプロフ(中央アジア風炊き込みご飯)を作って待ってくれていた。羊肉の香ばしいプロフはこってりしているけれど、煎茶を挟むともりもり食べられるから不思議だ。

お互いの暮らしのこと、ウズベキスタンのこと、日本のこと、とめどなく話をしたのち、結婚の話題になった。

今の日本は恋愛結婚が主流だと話すと、「いいな」とフィルーザが羨ましそうに言う。このあたりではお見合い結婚が主流らしい。部屋にある立派な家具や美しい食器は、どれもフィルーザの嫁入り道具だったそうだ。

「結婚したとき、彼のこと愛してなんていなかったんだよね」聞いてるこちらがドキッとする。彼女の夫は英語を話さないそうだけれど、それでも聞こえたらどうするんだと思ってしまう。

「だって愛しようがないでしょ?知らない人なんだもの」私の不安そうな反応を見た彼女が、いたずらっぽく笑う。

「一緒に住むようになって、彼を知って、そして愛するようになったの」フィルーザの穏やかな笑顔を見て、一瞬でも彼女の人生を「可哀想」と思ったことを恥じた。

出会って間もない人の家に遊びに行く。私にとってそれはとても珍しい思い出となった。立場は違えど、彼女の中でも、「息子を病院に連れて行く」という日常の中で突如あらわれた旅行客との珍しい思い出が、楽しいものとして記憶されていたら嬉しいと思う。

ぽんず(片渕ゆり)

1991年生まれ。大学卒業後、コピーライターとして働いたのち、どうしても長い旅がしたいという思いから退職。2019年9月から旅暮らしをはじめ、TwitterやnoteなどのSNSで旅にまつわる文章や写真を発信している。

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