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【浅田政志特集】浅田政志のターニングポイント<前編>

「家族」と「記念写真」をテーマに活動する写真家・浅田政志さん。
自らの家族を被写体に、さまざまな職業やシチュエーションになりきる写真集「浅田家」で注目を集め、映画の主人公にまでなった浅田さんに、家族写真との出会いから現在までを振り返りながら、写真家人生の数々の転機について語っていただきました。

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浅田政志

写真家 1979年三重県生まれ。日本写真映像専門学校研究科を卒業後、スタジオアシスタントを経て独立。2008年に出版した写真集「浅田家」(赤々舎刊)が、2009年第34回木村伊兵衛写真賞を受賞。2020年、写真集を原案とした映画「浅田家!」が公開に。同年、写真集「浅田撮影局 まんねん」(青幻舎刊)、「浅田撮影局 せんねん」(赤々舎刊)を発表。2022年水戸芸術館にて個展「浅田政志 だれかのベストアルバム」開催。

写真家人生のはじまり

「写真に興味を持ったきっかけは、毎年、年賀状を撮る時に父が使っていたカメラ。昔のカメラって、ダイヤルがいっぱい付いていて、いっぱい数字があって、なんだかかっこよくて。ダイヤルがカチカチ回る感じとか、フィルムが入っていなくても巻き上げる時のカシャンカシャンって音が気持ちいいんですよ。実際に撮ってみたいなと思って、カメラ屋さんにフィルムの入れ方から教えてもらって、一回撮ってみたら、ちゃんと写っていて、なんとも言えない感動がありました。それが中学生の頃かな。それからもっと撮ってみたいと思うようになり、高校は写真部に。部員は女子3人、男は僕ひとり。ちょうど写真が流行っている時期で、撮影会みたいなこともやっていて、TVで取り上げられたことも。その頃から、モデルの子に黒い衣装を着てもらって十字架のある墓場で撮影したり、友達と古着のデニムをファッション誌風に撮ってみたり、遊びの延長みたいな感じでしたが、こういう写真にしようというイメージがまずありました。もともとそういう撮り方で、今とあまり変わっていないですね(汗)」。

写真はサムライに扮して撮ったセルフポートレート。「ひとりでフラッと撮りに行くこともあったけど、学生時代は友達と遊びで作品撮りみたいなことをよくしていました。写真はこういうのがいいなって思う、原型みたいなものはこの時からあったかもしれない」。

【age 21】写真専門学校を卒業

もし一生にあと一枚しか撮れないとしたら?と考えて出した答えは家族写真

『卒業制作』(2000-2001)より

「一枚の写真で自分を表現しなさい」という課題に向き合った卒業制作。父親の怪我に慌てて兄弟揃って怪我をし、母親が看護師をしていた病院に運ばれた思い出を家族で再現し、セルフタイマーで撮った写真で学長賞を受賞し、無事卒業。「この課題がなかったら、家族写真に興味を持つこともなかったと思うので、一番のターニングポイントです」。

「高校卒業してすぐ働くとは考えてなかったし、行きたい大学もないし、写真だけはすごく好きだったから、写真の専門学校に行きたいなと思って、親に行かせてもらいました。基礎的な授業は全然覚えていないけど、課題を提出するのは好きだった。コンセプトを立てる重要性を学ぶために、あるキーワードから発想して作品にするまでをプレゼンする授業があって。すごくおもしろい先生で、その考えは普通だな、30点とか、その企画はいいね、200点とか評価してくれるんですけど、僕が最初に入れた刺青は学校のロゴで、課題の作品なんですよ。これが僕の作品ですって見せたら、おもしろいな!って1000点もらいました(笑)。今は写真もYouTubeを見れば勉強できるわけで、学校に行く意味って?と思うかもしれないけど、いろいろな課題で自分の幅も広がるし、向き不向きもわかっていく。志を同じくした同級生約100人が、同じ課題に取り組むと自分の立ち位置もわかるし、他人と比べるものではないけれど、すごく刺激になりましたね。学校で習うよさは、今も変わらずあると思います」。

【age 24】スタジオアシスタントに

「卒業して三重に帰って、約3年間パチスロばかりやっていたら、このままでいいのかと思い始めて。もう1回写真の勉強をしたいと思って、上京してスタジオフォボスに入りました。スタッフがすごく個性的でユニークな人が多かったから、すごく刺激的でした」。

「スタジオは実践で学べるから、かなり勉強になるんじゃないかな。学校で2年かけることを1週間で学べるくらい。ライティングみたいな技術面はもちろん、いろいろなカメラマンのクライアントに接する態度とかスタッフとの距離感とか、いろいろ見えたのは今でも役に立っていると思います。アシスタントは最初の1年で仕事を吸収して、次の1年はセカンドからファーストに上がる流れで、そこからは同じことの繰り返し。2年で師匠を見つけて辞めるサイクルが普通なので、約2年10ヶ月いた僕は長いほう。先のことを考えると、著名な師匠についたほうが間違いないけれど、激戦区だし、師匠がやっている仕事と自分がやりたいことの方向性が同じじゃないと、弟子入りする意味がないんですよね、そこは師匠を選ぶ時のポイントで。僕はスタジオフォボスで熊田貴樹さんの現場によく入らせてもらっていて、ファッションや広告には憧れもあったけど、自分にはあまり向いてないと思って、結局、師匠につくことなく独立しました」。

【age 28】写真集「浅田家」出版

最大の転機は赤々舎との出会い

《浅田家/4レンジャー》(2004)

2008年に出版された初の写真集で代表作「浅田家」(赤々舎)は、現在9刷め。「展示の時に家族で書店員さんの格好をして手売りしたら1日で150冊売れて、そのギャラリーでは記録的な売れ行きだったらしいです。両親もこんなに喜んでくれる人がいるのかと驚いたみたいで、そこから家族みんなでやる意味ややりがいを感じてくれるように。最初の頃は仕方なく撮られていましたが、今ではすごく協力的です」。

「転機というと、やっぱり赤々舎の姫野さんと出会えたこと。スタジオを辞めてから、写真集系の出版社にはほぼすべて、営業に行ったけれど全部断られて、最後に行った赤々舎さんで写真集を出してもらえることになりました。作品はスタジオ時代から反応がよかったんですよ。毎日違うカメラマン、クライアントに会えるので、撮影が終わってから、図々しくこれ見てくださいって。そのたびにすごく手応えを感じていて、どこかで自信あったのかな。少なくともこういう形でやりたいという思いは強くなっていった」。

写真集が決まった時は夢のようだった

「浅田家」(赤々舎)

「浅田家」(赤々舎)

Amazon:「浅田家」

「今の時代、日常的に写真は見られるし、写真集を出すのはすごくハードルが高いから、出せると決まった時は夢のような感じで、本当に喜んだのを覚えています。ちょうど兄が結婚して、浅田家としては次の章に入っていたので、4人で撮り終えている作品でまとめたいと話して、決まってから半年後にはもう製本されていました。出版記念の展示をニコンさんのギャラリーでやらせてもらって、そこからです。新聞、ラジオ、雑誌と取り上げられて、特にTVの影響力は大きく、いろいろな番組からお声がかかって、木村伊兵衛写真賞をもらったのが翌年、29歳の時。「浅田家」を出版できてよかったなと心から思っています」。

【age 29】第34回木村伊兵衛写真賞を受賞

《浅田家/木村伊兵衛写真賞》(2009)

写真集「浅田家」で2009年、写真界の芥川賞と言われる木村伊兵衛写真賞を受賞。写真は授賞式の時に家族で撮影した作品。

【age 29】「みんなの家族」撮影に全国各地へ

人に喜んでもらえることが自分のエネルギーに

《みんなの家族/萩原家》

《みんなの家族/石口家》

全国各地の依頼者のもとへ足を運び、その家族の特徴や良さを家族と一緒に考え、家族写真を撮影する企画「みんなの家族」を開始。参加者が小道具などを準備し、浅田さんは無償で撮影。
「47都道府県、全部行かせてもらって、たくさんの人に出会い、いろいろな経験をさせてもらっています。撮ることで人の人生に関われることが、写真の好きなところ。作品を作る時には、家族の中で大切にしまっておくような話も共有してもらうので、本当に特別なことを聞かせてもらって、人生勉強をさせてもらっているなと思います。家族の数だけ物語がある、それは頭ではわかっているけれど、実際にいろいろな家族に会って感じるのはまた違って。そういう実感が話すことや書くこと、作品にも乗っかってくるのかもしれないですね」。

【age 30】大型個展を開催

「Tsu Family Land」三重県立美術館(2010)

木村伊兵衛写真賞を受賞した翌年に地元の三重県立美術館で家族写真を発表したのを皮切りに、各地で展覧会を開催するように。
「写真集の出版記念の個展を開いて、そこから広がっていったので、写真集と展示は今でも発表の中心です。何かを伝えるための場として展示はすごく大事で、空間を把握したり、言葉を考えたり、作品をどう仕上げるべきか、どれくらいお金をかけるべきか、いろいろと考えることがあって、いきなりできるものではないんですよね。僕も小さな展示を何度かやりながら、やり方をつかんでいったところがあるので、まずは小さなところからやって、経験を積んでおくといいと思います」。

【age 32】写真洗浄ボランティアに参加

写真が持つ感覚、写真に残すことの意味を伝えていきたい

「アルバムのチカラ 増補版」(赤々舎)
文 藤本智士 写真 浅田政志

Amazon:「アルバムのチカラ 増補版」

映画の原案にもなった1冊。
「岩手県・野田村で支援物資の仕分けを手伝った日に、写真を洗っている若い人たちがいて、気になって話しかけたのが写真洗浄ボランティアとの出会い。津波で流された写真がたくさん集まっているけど、扱い方もよくわからないし、人手も足りなくて困っていると聞いて、写真洗浄の一員として関わるようになりました。写真洗浄は各地で行われていたのですが、どうやって持ち主に返したらいいのかは未知数で、それぞれが手探りで最善の方法に取り組んでいると聞いて、藤本さんと取材して作ったのがこの本です」。

すべての写真がいつか宝物になる可能性を秘めている

「アルバムのチカラ」(2011-2021)より

「東京で津波の映像を見ていた時、アルバムを救おうなんてアイデアはまったく思い浮かびませんでした。撮ることばかり考えて、写真でできることはないと思い込んでしまっていた自分がすごく恥ずかしくなった。それと同時に泥だらけの写真を洗いながら思ったのは、この写真はこれからどうなるかわからないということ。持ち主がいらっしゃらないかもしれないし、必要とされていないかもしれない。ただもしお返しすることができたら、誰かにとってとても特別な1枚になるかもしれない。そういう可能性を全部の写真が秘めているということに初めて気づきました。震災前はその写真の持ち主が見ても懐かしいくらいのものだったかもしれない、でも街ごと景色が変わり、価値観が変わった中で写真を見ると、そこには失われた日常が写っていて、その人にとって言葉では言い表すことができないような感情を引き起こすものになっている。写真は見る時によって、見え方や受け取り方が変わるものなのだと知りました」。

「アルバムのチカラ」(2011-2021)より

「写真には、持っている威力が最大限に発揮される瞬間が必ずある。それは歩む人生によっても変わるけれど、その価値がわかる時が絶対にいつか来るんですよ。そういう写真の力を感じると、他人が見たらなんでもないヴァナキュラー写真(芸術のためではなく、多くの一般の人が撮る何気ない写真)も、ある個人にとってはものすごい意味のあるもので、本当にその写真の価値を見ようと思ったら、何十年という単位が必要になる。SNSにアップして終わりではなく、プリントして、見返していくことが大事なんだと気づきました。ボランティアをしたことで、みんなが持っている写真の価値を教えてもらったような気がします。すべての写真がいつか誰かにとって宝物になる可能性のあるものなんですよね。それまでは自分の作品を見てもらって、いいといってもらいたいみたいな思いしかなかったから、そこから写真に対する自分の考えが変わって、写真を残すことの重要性を伝えていきたいと思うようになりました」。

【age 41】映画「浅田家!」公開

《浅田家/消防士》(2006)

「浅田家!通常版」
DVD発売中
4,180円(税抜価格 3,800円)
発売・販売元:東宝株式会社
©2020「浅田家!」製作委員会

「映画になったきっかけは、同じ三重県出身の映画界で有名なプロデューサーの小川さん。僕の半生をかなり忠実に再現してもらえたのは、監督の中野さんの手法や考え方のおかげです。写真を残す意味や家族写真を撮ることについてのメッセージもすごく込められていて、僕が伝えたいことを映画が代弁してくれました。映画を見た人たちから、家族写真を撮ってみます、プリントしますとたくさん声をいただいて、本当にありがたかったです。写真から広がって映画になるなんて夢にも思っていなかったから、本当に光栄の極みで、家族もうれしかったと思います。まさに浅田家の家宝です」。

【age 42】写真展「だれかのベストアルバム」

《私の家族/外之内加奈》(2021)

水戸芸術館で開催した写真展では最新作「私の家族」を発表。集合体の家族ではなく、ひとりに焦点をあてて、浅田さん撮影の写真と参加者が書いた文章で家族の物語を表現するシリーズ。
「一般の方を募集して被写体になってもらい、写真のプリントを渡して、手書きで文章を書いてもらう共同作品です。参加者にも家族観や思い出を文章にしてもらうので、大変な作業です。ただの家族の写真でしょ、というところを超える作品にするために、ほぼ50/50の力で一緒に作り上げています」。

現在、そして未来

自分らしい表現にこだわるよりも今は、誰かが喜んでくれることがやりがい

「目標は日本一撮られたことのある写真家になりたいということ。私も浅田さんに撮られたことある!みたいな(笑)。そうなった時にその写真が、僕が撮ったものであることは忘れられたとしても、何十年後かに、何かのタイミングで、誰かの人生を感じるような瞬間を提供できるかもしれない。僕が撮った写真がみんなのもとで花開いてくれる瞬間がありそうな気がして、そういう希望があることが、すごく楽しいです。本当の意味で写真が真価を発揮するのはまだまだ先の話だけど、いつかそんな時がくればいいなと思っています。
写真の仕事をしていてよかったなと思うのは、頑張って撮った写真を喜んでもらえた時なんですよね。やっていくうちに、人に喜んでもらえることがすごくエネルギーになってくる。最初の頃は自分らしい表現ができたとか、自分にしか撮れない写真が撮れたとか、内に向きがちですが、そのうち相手が喜んでくれるだけで十分になってくる。外を向いて、ある関係性を築きながら、自分の撮った写真の力で少しでも誰かを喜ばせられたら、写真を撮る意味ややりがいが見えてくると思います。みんな自分を表現しようとするからつまずくんじゃないかな。自分を出そうと思ってやるから、わからなくなるのであって、自分らしさは長年やっていればおのずと出てくるものだと思います。だからまずは誰かに喜んでもらえることを意識して。いろいろな人に撮らせてもらって、プリントして、お礼の手紙を添えて送って、そこでもらったレスポンスを自分のエネルギーに変えていってほしいです」。

浅田政志 Instagram
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GENIC vol.64 【浅田政志特集:前編】浅田政志のターニングポイント
Edit:Akiko Eguchi

GENIC vol.64

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